神が宿るところ

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二宮神社(千葉県船橋市)(下総国式内社・その2)

2012-03-17 23:20:03 | 神社
二宮神社(にのみやじんじゃ)。
場所:千葉県船橋市三山5-20-1。国道296号線(成田街道)「二宮神社入口」交差点から南へ、道なりに約1.5km。駐車場あり。
社伝によれば、嵯峨天皇の勅命により、弘仁年間(810~824年)に創建されたとする。主祭神は、建速須佐之男命。社号標に「延喜式内」と謳うが、延喜式神名帳に「二宮神社」とあるわけではなく、下総国一宮「香取神宮」に次ぐ二宮である、ということのようである。式内社としては千葉郡「寒川神社」の後裔であるとされる。いつから「二宮神社」と呼ばれるようになったか不明だが、乾元2年(1303年)銘の釣鐘に「総州二宮社」とあることから、鎌倉時代には既にそう呼ばれていたようだ。また、江戸時代には「三山明神」とも呼ばれていた。鎮座地の「三山(みやま)」は本来「御山」で、台地の上に祀られた神であったようである。
ところで、当神社が式内社「寒川神社」(の後裔)とされるのはなぜか。「寒川神社」と言う名は、相模国一宮・式内社(名神大)「寒川神社」が有名である。こちらの祭神は寒川比古命・寒川比売命(合わせて寒川大神と称する。)で、相模国の開拓神ともいわれるが、はっきりしない(元々、祭神自体にも諸説あったようだ。)。どうやら、寒川=清涼な水がわき出す泉という意味で、つまり「寒川」というのは一般名詞的な地名だったということらしい。相模国一宮「寒川神社」の近くには相模川が流れているが、古代には低湿地で、鎮座地には泉が湧き出していたという。
当神社では、写真1の鳥居を潜ると、谷の底に水源地があり、「御手洗之泉(みたらしのいけ)」の石碑が設置されている。その碑文では、この水源地に、農業の守護神として創建当初から建速須佐之男命などを祀ったものとしている。元々農業の神を祀ったというのはその通りだろうが、祭神が建速須佐之男命などというのはどうだろうか。最初は、単に泉の神、または水神が祀られていたのではないだろうか。


二宮神社のHP

玄松子さんのHPから(二宮神社)


写真1:「二宮神社」正面鳥居。傍らの社号標は「延喜式内 二宮神社」となっている。


写真2:上の写真の鳥居を潜り、いったん石段を下る。木立で薄暗い中に「御手洗之泉」の石碑が設置されている。


写真3:社殿前の鳥居のところから谷を見下ろす。奥に見えるのが写真1の鳥居の裏側。


写真4:社殿。薄暗い谷から石段を上ったところにある。


写真5:境内東側のT字路の真ん中に立っている「二宮大明神」の石碑。よく見ると、下のほうに「是ヨリ七町」(1町=約109m)と刻まれているので、どこか街道沿いにでもあったものだろう。更によく見ると、上のほうには「延喜式内 茂侶神社」とも刻まれている。この件は、いずれ別項で。

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