神が宿るところ

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大覚寺山古墳

2012-04-14 23:40:18 | 古墳
大覚寺山古墳(だいかくじやまこふん)。
場所:千葉市中央区生実1861-1。生浜東小学校の東、約100m。駐車場なし。周囲は住宅地化していて場所がわかりにくいが、自動車でナビがある方は、行き先を「千葉市埋蔵文化財調査センター」にセットして行くとよい。同センターからはすぐ西側に見え、駐車場もある。
「大覚寺山古墳」は、現・千葉市中央区生実の台地上に散在する生実古墳群のうち代表的な古墳で、築造時期は5世紀前半と推定されている。この古墳は、舌状に伸びた台地の先端部を利用して造られた前方後円墳で、全長約62m(資料によっては66m)、前方部の幅約25m、後円部の径約35mとされ、千葉市内では最古・最大のものという。自然の地形を利用して作られたせいか、あるいは風雨で削られた可能性もあるが、後円部に比べると前方部がやや小さく、古い形態を残しているともされる。元々「ぼんぼん山」と呼ばれていた小丘で、昭和45年、宅地造成の際に発見され、現在では史跡公園として整備・保存されている(未発掘)。昭和46年、千葉県指定史跡となった。
「大覚寺山古墳」の西には、「七廻塚古墳」という円墳があった(築造時期:5世紀中頃?)。経54m、高さ8.8mという巨大な円墳だったが、生浜中学校(現・生浜東小学校)のグラウンドを拡張する工事により、昭和33年に消滅した。出土物は、鉄剣、青銅鏡、滑石製の石剣・石釧など。このうちの釧(くしろ)というのは、模様が刻まれた腕輪で、祭祀用の宝器と考えられている。直径約16cmの優品で、現在は他の出土品とともに「千葉市埋蔵文化財調査センター」に展示されている。工事で崩される前、「七廻塚古墳」の上には「八剣神社」(千葉市中央区南生実)の境外社「鷲宮社」が鎮座していたとされる(東京都台東区の「鷲神社」と同神(天日鷲命)なら、日本武尊とも縁が深い。)。
なお、周囲はかなり住宅地化が進んでおり、知られずに消滅した古墳も多いようだ。「瓢箪塚」という小字があり、そこに前方後円墳があったのではないかとも言われている。
さて、「大覚寺山古墳」は、式内社「蘇我比神社」の南東約2.4km、旧・下総国千葉郷の内にある。現・千葉市中央区内だが、この辺りは市原市との市境に近い。市境に沿うように流れる村田川の左岸(南岸)に今も地名(千葉県市原市菊間)に残っているが、現・市原市北部は、古代には菊間(くくま)国造の支配地であった。「大覚寺山古墳」・「七廻塚古墳」を見ると、ヤマト政権と近い地方豪族の墳墓と思われるが、位置的なことから菊間国造一族のものとみる説のほうが有力のようである。


「古墳マップ」さんのHPから(大覚寺山古墳)

千葉市埋蔵文化財調査センターのHP


写真1:「大覚寺山古墳」公園入口


写真2:自然の台地の端を整形して前方後円墳が作られたらしい。手前が前方部。


写真3:大きくて全体をカメラに収められないが、手前(南側)が前方部、奥が後円部(北側)。


写真4:北側の後円部


写真5:近くにある「千葉市埋蔵文化財調査センター」(場所:千葉市中央区南生実町1210)


写真6:「八剣神社」参道の鳥居(場所:千葉市中央区南生実町880)
コメント
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