三郡境の不動様(さんぐんさかいのふどうさま)。松ヶ崎不動尊ともいう。
場所:千葉県柏市松ヶ崎。国道6号線「北柏入口」交差点の東側で市道に下り、直ぐ左折(北へ)、約300m。駐車場なし。
古代東海道の「茜津」駅は、「柏市史」等により千葉県柏市藤心付近と推定され、それが殆ど通説化しているが、発掘調査で確認されたわけではない。「津」の字が付いているので港(船着場)があったのだろうと考えられ、舟で行く場合もあったとされるが、本路は陸路によったものと思われる。そうしたとき、個人的には、「茜津」駅は現在の柏市北柏付近にあったという説に魅力を感じている。
JR常磐線「北柏」駅の北西、約600mに「三郡境の不動様」というところがある。元は不動堂があり、不動明王像が祀られていたらしいが、平成8年に火災で焼失してしまったという。今は手洗石が置かれているだけだが、葛飾郡・相馬郡・印旛郡の3つの郡境にあったということから、その名が付いたらしい。ここは、かつて手賀沼の西に張り出した舌状台地で、戦国時代には城(館)があり、一般に「松ヶ崎城」と呼ばれる場所で、「三郡境の不動様」は城の南腰曲輪だったところらしい。その近くには有名な湧水があったほか、台地上には古墳が3基(最も大きいものは城の物見台に転用されたらしい。)、平安時代の住居跡等が出土したという。
この付近に古代東海道「茜津」駅があったとする根拠として、①古代東海道など古代の官道はしばしば郡境となっていたこと、②ここから古代東海道は東に向う屈曲点であること、③かつて手賀沼(古代には「香取海」の一部)に面していたこと、④古墳や古代の住居跡などが出土していること等が挙げられる。もちろん、決め手はないが、結構面白い説ではないかと思う.
「手賀沼と松ヶ崎城の歴史を考える会」さんのHP
写真1:「三郡境の不動様」(跡)
写真2:松ヶ崎の湧水。かつては水垢離場でもあったようだ。開発によって樹木が伐採されてしまったため、水が枯れてしまったらしい。
写真3:台地上の松ヶ崎城址。整備中
場所:千葉県柏市松ヶ崎。国道6号線「北柏入口」交差点の東側で市道に下り、直ぐ左折(北へ)、約300m。駐車場なし。
古代東海道の「茜津」駅は、「柏市史」等により千葉県柏市藤心付近と推定され、それが殆ど通説化しているが、発掘調査で確認されたわけではない。「津」の字が付いているので港(船着場)があったのだろうと考えられ、舟で行く場合もあったとされるが、本路は陸路によったものと思われる。そうしたとき、個人的には、「茜津」駅は現在の柏市北柏付近にあったという説に魅力を感じている。
JR常磐線「北柏」駅の北西、約600mに「三郡境の不動様」というところがある。元は不動堂があり、不動明王像が祀られていたらしいが、平成8年に火災で焼失してしまったという。今は手洗石が置かれているだけだが、葛飾郡・相馬郡・印旛郡の3つの郡境にあったということから、その名が付いたらしい。ここは、かつて手賀沼の西に張り出した舌状台地で、戦国時代には城(館)があり、一般に「松ヶ崎城」と呼ばれる場所で、「三郡境の不動様」は城の南腰曲輪だったところらしい。その近くには有名な湧水があったほか、台地上には古墳が3基(最も大きいものは城の物見台に転用されたらしい。)、平安時代の住居跡等が出土したという。
この付近に古代東海道「茜津」駅があったとする根拠として、①古代東海道など古代の官道はしばしば郡境となっていたこと、②ここから古代東海道は東に向う屈曲点であること、③かつて手賀沼(古代には「香取海」の一部)に面していたこと、④古墳や古代の住居跡などが出土していること等が挙げられる。もちろん、決め手はないが、結構面白い説ではないかと思う.
「手賀沼と松ヶ崎城の歴史を考える会」さんのHP
写真1:「三郡境の不動様」(跡)
写真2:松ヶ崎の湧水。かつては水垢離場でもあったようだ。開発によって樹木が伐採されてしまったため、水が枯れてしまったらしい。
写真3:台地上の松ヶ崎城址。整備中