神が宿るところ

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下総国の古代東海道(その2・東京低地の古代道路痕跡)

2013-06-01 23:22:55 | 古道
延喜式に記された古代東海道の武蔵国最後の駅である「豊嶋」駅(「谷中霊園」付近に比定)から下総国に向うルートは、JR・京成電鉄本線「日暮里」駅付近で台地を下り、下総国府(現・千葉県市川市国府台)に向って真っ直ぐ東へ進む。JR・東京メトロ「南千住」駅付近までははっきりしないが、東武電鉄伊勢崎線「鐘ヶ淵」駅の南側の直線的な道路、更に荒川を渡って京成電鉄押上線「京成立石」駅の南側の直線的な道路、奥戸橋から京成電鉄本線「京成小岩」駅の南側を結ぶ直線的な道路が繋がり、これが古代東海道の直線道路の痕跡とされているものである。これを示す地図が、奥戸小学校(住所:東京都葛飾区奥戸8-20-17)の北側の道路に「古代東海道」の案内板として設置されている(写真1)。この直線道路が古代官道の痕跡であることを最初に指摘したのは吉田東伍で、彼が編纂した「大日本地名辞書」(1899~1907年)では「墨田村より立石、奥戸を経、中小岩に至り、下総村に至る一径あり。今も直条糸の如く、古駅路のむかし偲ばる」と記されている。また、明治13年に作られた迅速測図という地図でも、明瞭に直線道路の存在が見て取れる。「京成小岩」駅南側から先にも直線的な道路は東に延びていて、真言宗豊山派「稲荷山 遍照寺 真光院(いなりさん へんじょうじ しんこういん)」という寺院に突き当たり、その「真光院」の裏は江戸川の土手で、川向こうに千葉県市川市国府台の台地(下総国府の想定地)が見える。古代には、「豊嶋」駅想定地である日暮里付近の台地上から、「下総国府」までが見通せたと思われ、それを目標に直線道路が造られたことは確実だろう。ただし、「京成小岩」駅南側から先(東)の道路には現在、「上小岩遺跡通り」という愛称が付いているが、上記の迅速測図には(「真光院」らしきものはあるが)直線道路はみられない。現・江戸川(古代には「太日河」と呼ばれたらしい。)の対岸は険しい崖で、そのまま進んだのではなく、どうやら「京成小岩」駅南側から東南方向に進路を変え、ほぼ京成本線の線路に沿って進んだものと思われる(続きは次項で。)。


「住んでみないと かわらん版」さんのHPから(この町の歴史)のHP


写真1:奥戸小学校前にある古代東海道の説明板。通常の地図とは南北が逆になっている。


写真2:「京成小岩」駅の南側から東に延びる直線的な道路は「上小岩遺跡通り」という愛称がついている(東の突き当たり付近)。


写真3:同上。「上小岩遺跡通り」の案内板


写真4:「真光院」入口。慶長7年(1602年)良鍐法印の開山で、本尊は阿弥陀如来


写真5:「真光院」裏の江戸川土手上から東を見る。写真右端の高いビルが和洋女子大学(「下総国府」想定地付近)
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