神が宿るところ

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城山古墳群(千葉県香取市)

2014-04-19 23:00:38 | 古墳
城山古墳群(じょうやまこふんぐん)。
場所:千葉県香取市小見川4779-3(小見川城山公園の住所)ほか。国道356号線「小見川大橋入口」から県道44号線(成田小見川鹿島港線)に入り(西へ)、JR成田線の跨線橋を越えてから側道に下り、十字路を右折(北へ)、道なりに坂道を上っていくと台地上に小見川高校と小見川城山公園がある。公園の駐車場が利用できる。
「城山古墳群」は、小見川高校及び小見川城山公園を中心に分布する古墳群で、前方後円墳8基、方墳2基、円墳11基などからなり、そのうち観察しやすいのは1号墳と2号墳である。1号墳は、元は小見川高校敷地内に存在した全長68m、前方幅43m、後円径41mの前方後円墳で、高校建設時に削平され消滅したが、後円部の横穴式石室が公園入口脇に復元されている。石室は右片袖式で、全長6.5m、玄室長4.5m、幅1.7m。発掘時には、組立式木棺、各種埴輪、三角縁神獣鏡、鉄剣、ガラス製棗玉など多くの副葬品が出土した。築造時期は6世紀後半と考えられている。
2号墳は、小見川高校正門の向って右側の土塁のようにみえるところにある、全長45mの前方後円墳。雑木に覆われており、全体像がわかり難い。後円部に横穴式石室の天井石らしきものが露出しているというのだが、どこが「括れ」部分なのか、よくわからない。傍らに「興世王墳墓の碑」という石碑が建てられている。「興世王」というのは、承平8年(938年)に武蔵権守として武蔵国に赴任した王族であるが、出自は不明。いろいろ問題のある人物だったようで、赴任早々、足立郡司とトラブルを起こし、それを機会に平将門と仲良くなり、承平天慶の乱では将門から上総介に任じられている。将門が乱を起こしたのは興世王が唆したから、という説もあり、少なくとも乱の首謀者の1人であったようで、天慶3年(940年)に上総で討死したとされる。したがって、ここに興世王の墓がある理由はなく、石碑は昭和32年に高橋という人が建立したが、地元では全く根拠のないものとされているようだ。「城山古墳群」、特にその1号墳は、古代「香取海」を見下ろす台地上の大きな古墳であり、おそらく下海上国造の一族の墳墓であったものと思われる。


写真1:「城山古墳群1号墳」。復元された石室には扉が設置され、中には入れないが、隙間から中が見える。


写真2:「城山古墳群2号墳」。桜の木のところから入る。


写真3:同上。雑木林の中に、「興世王墳墓の碑」がある。


写真4:同上。コンクリート製の階段(「超芸術トマソン」みたい。)の先に、横穴式石室の天井石らしきものが露出している。


写真5:同上。北側(校内)から見る。


写真6:「城山古墳群3号墳」。小見川高校(校内)の体育館脇(2号墳の北側)にある、1辺約19mの方墳とされる。7世紀前半の築造と推定。なぜか墳丘上に竪穴式住居が復元されている。


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