神が宿るところ

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晴明堂(千葉県銚子市)(銚子の安倍晴明伝説・その3)

2014-06-21 23:35:34 | 寺院
晴明堂(せいめいどう)。真言宗智山派「明王山 眞福寺」境内。
場所:千葉県銚子市親田町767。国道126号線沿い、コンビニ「セブンイレブン銚子親田町店」の西、約200mのところから狭い道路に入り、道なりに約380m。駐車スペースあり。
千葉県銚子市に伝わる陰陽師・安倍晴明の伝承では、「垣根の長者」根本義貞の娘・延命姫との結婚を一度は承諾した晴明が、一夜経って思い直し、逃げ出すが、あきらめきれない延命姫から追われるという流れになる(この辺り、歌舞伎の「娘道成寺」で有名な、所謂「安珍・清姫伝説」のような趣)。晴明は、現・銚子市垣根町から「飯沼観音」(前項参照)などを経て、現・銚子市小浜町に逃げてきたが、ここで一計を案じ、太平洋に面した「屏風ヶ浦」の崖の上に着物と履物を置き、「眞福寺」に身を隠した。そうとは知らぬ延命姫は、晴明が海に身を投げて死んだと思い込み、自らも断崖から海に身を投げたという。「屏風ヶ浦」は、約10kmに及ぶ断崖絶壁(海食崖)で、英仏間のドーバー海峡にある白い崖に似るところから、「日本のドーバー」あるいは「東洋のドーバー」とも称されているところである。今も「眞福寺」から更に1.5kmほど南に進めば、海に出る。その崖の中腹に「通漣坊」あるいは「通漣洞」という海食洞窟があり、延命姫が身を投げたときにできた、などと伝えられてきたが、現在は崩落して、見ることができない。
さて、この伝説では、小説や漫画などでのイメージと異なり、晴明は、呪術ではなく、策略で危機を脱したのだが、聊か姑息の感が否めない。また、延命姫の死を招いたことは重大で、晴明も気が咎めたのだろう、「眞福寺」境内の小堂に籠もり、罪滅ぼしのための行をしたとされ、それが「晴明堂」であるとされる。現存の「晴明堂」は、思ったよりも小さく、ここに籠もる、というのもよくわからないが、それで伝説の真偽を云々するのは野暮というものだろう。


写真1:「明王山 眞福寺」入口


写真2:本堂? 現在は無住のようである。


写真3:「晴明堂」
コメント (2)
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