小椋賣神社(おしめじんじゃ)。
場所:山形県酒田市楯山字大村山12-2。山形県道363号線(田沢下新田線)沿い、「田沢小学校」グラウンド南端から南へ約230mのところで左折(東へ。「楯山→」という案内標識がある。)。直進、約2.4km(道なりに進むと、途中でカーヴして「楯山川」を渡るようになっているが、渡らずに狭い道路の方へ進む。)。駐車場なし。
「日本三代実録」貞観15年(873年)の記事に、「出羽国飽海郡の伴部小椋賣(ともべのおくらめ)という婦人は、夫が亡くなった後も再嫁せず、墓の傍に居て尼となり、苦行して仏道に励んだ。これにより、位二階に叙し、家の租税を免除して、表彰した。」(意訳。なお、名の振り仮名は「訓読日本三代実録」(武田祐吉・佐藤謙三訳)による。)とある。「小椋賣」の没後、その徳を称えるため村の長老が祠堂を建て、木造を納めて祀ったという(創祀時期は不明。)。現在の祭神は、小椋賣命(オシメ)と大山祇命。因みに、「小椋賣」は、胡麻を絶って願を掛けたとされることから、当地では胡麻を植えず、植えると不吉なことが起きると語り伝えられているという。
なお、「日本三代実録」には、いわゆる「節婦」(貞節な女性)を表彰する記事は多く、「小椋賣」以外でも、例えば貞観13年(871年)の記事に「出羽国田川郡の「大荒木臣玉刀自」という婦人が同様の表彰を受けたことが見える(出羽国の例を挙げたが、もちろん他の国にもある。)。ただ、それを神として祀ると言う例は珍しいようだ。当神社の社号標の上部には「國史現在」と刻されているが、「国史現在社」というのは「日本三代実録」等の「六国史」に名が見える神社のことをいうのが普通で、当神社の場合、「小椋賣」は国史に見えるものの、当時は神ではなかっただろうから、通常は「国史現在社」にはカウントしていないようである。
写真1:「小椋賣神社」参道の石段
写真2:石段を上ったところに社号標と手水舎。この写真では見えないが、社号標の上部には「國史現在」と刻されている。
写真3:鳥居
写真4:社殿
場所:山形県酒田市楯山字大村山12-2。山形県道363号線(田沢下新田線)沿い、「田沢小学校」グラウンド南端から南へ約230mのところで左折(東へ。「楯山→」という案内標識がある。)。直進、約2.4km(道なりに進むと、途中でカーヴして「楯山川」を渡るようになっているが、渡らずに狭い道路の方へ進む。)。駐車場なし。
「日本三代実録」貞観15年(873年)の記事に、「出羽国飽海郡の伴部小椋賣(ともべのおくらめ)という婦人は、夫が亡くなった後も再嫁せず、墓の傍に居て尼となり、苦行して仏道に励んだ。これにより、位二階に叙し、家の租税を免除して、表彰した。」(意訳。なお、名の振り仮名は「訓読日本三代実録」(武田祐吉・佐藤謙三訳)による。)とある。「小椋賣」の没後、その徳を称えるため村の長老が祠堂を建て、木造を納めて祀ったという(創祀時期は不明。)。現在の祭神は、小椋賣命(オシメ)と大山祇命。因みに、「小椋賣」は、胡麻を絶って願を掛けたとされることから、当地では胡麻を植えず、植えると不吉なことが起きると語り伝えられているという。
なお、「日本三代実録」には、いわゆる「節婦」(貞節な女性)を表彰する記事は多く、「小椋賣」以外でも、例えば貞観13年(871年)の記事に「出羽国田川郡の「大荒木臣玉刀自」という婦人が同様の表彰を受けたことが見える(出羽国の例を挙げたが、もちろん他の国にもある。)。ただ、それを神として祀ると言う例は珍しいようだ。当神社の社号標の上部には「國史現在」と刻されているが、「国史現在社」というのは「日本三代実録」等の「六国史」に名が見える神社のことをいうのが普通で、当神社の場合、「小椋賣」は国史に見えるものの、当時は神ではなかっただろうから、通常は「国史現在社」にはカウントしていないようである。
写真1:「小椋賣神社」参道の石段
写真2:石段を上ったところに社号標と手水舎。この写真では見えないが、社号標の上部には「國史現在」と刻されている。
写真3:鳥居
写真4:社殿