神が宿るところ

古社寺、磐座、不思議・パワースポット、古代史など極私的な興味の対象を見に行く

鳥海月山両所宮

2016-06-18 23:00:21 | 神社
鳥海月山両所宮(ちょうかいがっさんりょうしょのみや)。通称:お宮様。
場所:山形県山形市宮町3-8-41。国道112号線「下条五叉路」から東に約1.1km。駐車場有り。なお、JR奥羽本線「北山形」駅東口からは、東に進み、最初の信号を左折(北へ)、約600m(徒歩約7分)。
社伝によれば、陸奥守・鎮守府将軍となった源頼義が、陸奥国の俘囚長・安倍氏を討伐するに当たり出羽国飽海郡吹浦の「鳥海山大物忌神社」で鳥海山・月山の両神に戦勝を祈願し、その勝利の報賽として当地に両神の分霊を勧請して康平6年(1063年)に社殿を造営した。その経緯から、国家泰平・武門吉事の神と称したといい、当地の町名(「宮町」)も当神社鎮座に因むという。祭神は鳥海山の神=稲倉魂命と月山の神=月夜見命を祀る。天正年間(1573~1591年)、当地の領主・最上義光は、従来の祠官を廃して真言宗「成就院」(明治期に神仏分離により廃寺)を別当として社領を寄進した。以来、歴代の領主から「北の総鎮守」として篤く崇敬され、現・山形市北部の大半を氏子地域とし、「お宮様」の通称で信仰を集めたという。
古代には出羽国の中心地は現・山形県庄内地方であったが、律令制が崩壊するに連れ、現・山形市周辺に移ったと考えられる。「出羽国分寺」について正平11年(1356年)に斯波兼頼(最上氏の祖)が庄内地方から当地に移したという説があるが、これは平安時代末期~鎌倉時代初期に国府が現・山形市に移動したと伝承されることに呼応するものと思われ、「出羽国分寺」とともに、出羽国の最高神である鳥海山・月山の神が現・山形市に勧請されたのも、これに関連するのではないだろうか。なお、当神社境内に「出羽国府」の守護神である「城輪神社」も勧請されていることも補強材料だろう。そうしてみると、現存の「出羽国分寺」とされる「国分寺薬師堂」(前項「護国山 柏山寺」参照)と当神社が遠からぬ場所にある(直線距離で約1.4km)ことも当然のことだろうと思われる。


山形市観光協会のHPから(鳥海月山両所宮)


写真1:「鳥海月山両所宮」随神門(山形市指定有形文化財)


写真2:社号標


写真3:拝殿


写真4:拝殿には「鳥海山大神」と「月山大神」の扁額が並べて架けられている。


写真5:本殿も2社ある。本殿も山形市指定有形文化財。


写真6:境内社(摂社)「城輪神社」。桃山時代初期の様式を伝えるものとされ、扉の上に天正7年(1579年)銘があるという(山形市指定有形文化財。)。


写真7:拝殿の脇(向って左)にある「金井水」。金売吉次(源義経が奥州に逃れる際に手助けしたという伝説的な人物)が、この泉で金を洗ったと伝えられ、当地の「金井荘」という荘名の起源になったという。



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