神が宿るところ

古社寺、磐座、不思議・パワースポット、古代史など極私的な興味の対象を見に行く

水晶山神社(山形県天童市)(出羽国式外社・その9?の2)

2016-07-16 23:59:06 | 神社
水晶山神社(すいしょうざんじんじゃ)。
場所:山形県天童市大字川原子字水晶山1。国道48号線からコンビニ「ローソン川原子本郷店」のところから南東へ(ゴルフ場「天童カントリークラブ」方面へ)、約600mのところに「谷地中の石鳥居」がある(大きな案内板があるが、石鳥居自体は道路から見えず、駐車場もないので通り過ぎやすい。)。更に道なりに進み、「天童カントリークラブ」の入口があるが、その前をそのまま通り過ぎて狭い道路を約500m進むと「水晶山」(川原子コース)登山口。駐車場とトイレがある。舗装路はここから更に約1.2km続いており、終点「六角堂」(休憩所)付近に駐車場もある。登山口から六角堂まで歩いて上ると約20分で、途中にも石像等があり、時間があれば下から登るのが良い。六角堂から山頂までは山道を約40分登る。なお、北麓の東根市側にも登山口がある(猪野沢コース、所要時間約1時間)。
社伝によれば、創建時期は不明ながら、太古、大国主神が蝦夷征伐のために東下した際、「水晶山」を屯営として四方の夷狄を征服したとされ、その神蹟に大国主神の新魂(荒魂)である大國魂命を祀ったという。また、「水晶山」(標高667m)は役小角(役行者)によって開山されたと伝えられ、中世には修験の山として盛況となった。山麓に真言宗「玉虫山 大和寺」(貞観17年:875年創建ともいう。)が建立され、神仏混淆により、蔵王権現と十一面観世音菩薩が合祀された。天正年間(1573~1593年)に最上義光が山形城主となり、当地を支配すると、「摩訶迦羅山(大黒山) 宝珠院 宝幢寺」(明治期に廃寺)が「水晶山」修験の別当寺となり、「大和寺」は廃されたという。なお、詳細は不明ながら、現・天童市川原子側で「大和神社」、現・東根市猪野沢側で「水精山神社」として祀っていたが、昭和28年に合併して「水晶山神社」と改称した。現在の祭神は、大國魂命と大物主命。「水晶山」という名の由来は、この山で水晶が採取できたため、あるいは水の神(水精)として雷神(大物主命)を祀ったためともいう。因みに、大国主神、大國魂神、大物主神は、同神であるともいわれている。
さて、「水晶山」は、鷲が頭を擡げたような姿をしているとして、釈迦が説法をしたという天竺(インド)の「霊鷲山(りょうじゅせん)」、略して「霊山」に因んで「霊山寺」という寺院があったとの伝承がある。実際に、「西ノ堂跡」など寺院跡が発見されており、三堂一院(東堂・中堂・西堂・別院)を備えた大寺院だったとされる。そこで、「日本三大実録」貞観9年(867年)の条に「出羽国最上郡の霊山寺を定額寺とした」という記事があるが、その出羽国定額寺「霊山寺」だったという説がある。更に、同じく「日本三大実録」貞観13年の条に「出羽国の利神に従五位下の神階を授けた」という記事があり、この式外社「利神」が「水晶山神社」の前身であるという説もある。こちらのほうは、比定の根拠がよくわからないのだが...。それほど、往時は修験が隆盛していたということだろうか。


「水晶山に親しむ部会」のHP(水晶山とともに)


写真1:「谷地中の石鳥居」。柱のみで、笠木・島木などは失われている。鎌倉時代頃の造立とされる。


写真2:同上。正面に「水晶山」が見えるはずだが。思ったより小さい、というか、柱の間が狭く、最初からこの場所にあったかどうかについて異説もあるようだ。


写真3:「日輪寺跡」。「天童カントリークラブ」入口手前付近。「日輪寺跡」は平安時代の寺院跡とされ、今は、背後の川の対岸に礎石のみが残るという。ここに「水晶山」の案内板もある。


写真4:同上。奥に「水晶山」が見える。


写真5:「二神仏石碑」。「水晶山」登山道の入口にある。碑面には「水晶山蔵王大権現」と「十一面観世音菩薩」の文字が刻まれている。文化14年(1817年)建立。


写真6:「水晶山神社」社殿


写真7:同上、「奥の院」


写真8:「奥の院」の背後が「水晶山」山頂で、磐座がある。これが「陽神」で、蔵王大権現とされる。


写真9:山頂の左手奥に「御室」がある。水晶の採掘穴ともいわれるが、これが「陰神」で、十一面観世音菩薩とされる。


写真10:同上。上から覗き込んだところ。

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