菅沢古墳2号墳(すげさわこふんのごうふん)。
場所:山形県山形市菅沢字山崎727-46ほか。国道458号線と山形県道17号線(山形白鷹線。通称「狐越街道」)の交差点から、国道を南へ約1.5km、「菅沢住宅団地」方面へ右折(西へ)、約250m走り、カーヴしていく手前の右側(北側)に「菅沢古墳二号墳入口」という標柱が立っている。その先に上っていくが、すぐに未舗装になり、道も狭いので注意。駐車スペースも無いわけではないが、自動車で行くのはお勧めしない。
「菅沢古墳2号墳」は、山形盆地の南西に広がる標高167mの「山崎丘陵」上に円墳が3基あるとされる「菅沢古墳群」の1つ。1号墳は丘陵の北端にあり、一部削平を受けているが、直径約20m、高さ約2.5mの円墳とされる。2号墳は1号墳の南側にあって規模も大きい円墳であるが、3号墳は2号墳の西側の円墳状の高まりで、古墳とは断定されていないようである。2号墳は直径約51~53m、高さ約5~6mという東北地方最大級の円墳で、2段築成、幅8.3mの周溝があった。1段目は地山の削り出し整形であるが、2段目は盛り土らしい。葺石はないが、下の段の周囲に約1m間隔で円筒埴輪・朝顔形埴輪を立てて並べてあった痕跡がみられた。また、墳頂部の平坦部には、円筒型埴輪等のほか、家形、甲冑型、盾形、馬型などの形象埴輪の破片が多く発見されたという。内部主体は未発掘であるが、木棺直葬の可能性が高いとされる。築造時期は、古墳時代中期(5世紀後半)頃と推定されている。「菅沢古墳群」として昭和44年に山形市指定史跡となり、このうち2号墳が昭和48年に山形県の指定史跡となっている。
山形の宝 検索naviのHPから(菅沢古墳二号墳)
写真1:
写真2:
写真3:
場所:山形県山形市菅沢字山崎727-46ほか。国道458号線と山形県道17号線(山形白鷹線。通称「狐越街道」)の交差点から、国道を南へ約1.5km、「菅沢住宅団地」方面へ右折(西へ)、約250m走り、カーヴしていく手前の右側(北側)に「菅沢古墳二号墳入口」という標柱が立っている。その先に上っていくが、すぐに未舗装になり、道も狭いので注意。駐車スペースも無いわけではないが、自動車で行くのはお勧めしない。
「菅沢古墳2号墳」は、山形盆地の南西に広がる標高167mの「山崎丘陵」上に円墳が3基あるとされる「菅沢古墳群」の1つ。1号墳は丘陵の北端にあり、一部削平を受けているが、直径約20m、高さ約2.5mの円墳とされる。2号墳は1号墳の南側にあって規模も大きい円墳であるが、3号墳は2号墳の西側の円墳状の高まりで、古墳とは断定されていないようである。2号墳は直径約51~53m、高さ約5~6mという東北地方最大級の円墳で、2段築成、幅8.3mの周溝があった。1段目は地山の削り出し整形であるが、2段目は盛り土らしい。葺石はないが、下の段の周囲に約1m間隔で円筒埴輪・朝顔形埴輪を立てて並べてあった痕跡がみられた。また、墳頂部の平坦部には、円筒型埴輪等のほか、家形、甲冑型、盾形、馬型などの形象埴輪の破片が多く発見されたという。内部主体は未発掘であるが、木棺直葬の可能性が高いとされる。築造時期は、古墳時代中期(5世紀後半)頃と推定されている。「菅沢古墳群」として昭和44年に山形市指定史跡となり、このうち2号墳が昭和48年に山形県の指定史跡となっている。
山形の宝 検索naviのHPから(菅沢古墳二号墳)
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