神が宿るところ

古社寺、磐座、不思議・パワースポット、古代史など極私的な興味の対象を見に行く

庭月山 月蔵院

2016-07-23 23:26:39 | 寺院
庭月山 月蔵院(ていげつさん がつぞういん)。通称:庭月観音(にわつきかんのん)。
場所:山形県最上郡鮭川村大字庭月2829。山形県道35号線(真室川鮭川線)と同308号線(曲川新庄線)の交差点から、県道308号線を西へ、約1.4km。駐車場有り。
寺伝によれば、鎌倉幕府の武将・佐々木(六角)頼綱は近江国守護であったが、仏教に深く帰依していた。あるとき奥方が病床につき命も危うくなったおり、清らかな僧が夢枕に立ち薬草を置いて去った。この薬草により、奥方は快癒した。これを不思議に思い、山中を彷徨うなか、現在の本尊である聖観世音菩薩像を得た。これこそ、慈覚大師(円仁。天台宗第3代座主)自刻の観音像であり、以来、佐々木家の守り本尊として代々伝えられた。後に、佐々木新太郎綱村が出羽国に下って仙北地域の領主・小野寺氏の客将となり、天文4年(1535年)に「真室城」(「鮭延城」)を居城として姓も「鮭延」と改め、最上地方を治めた。城内に近江国から運んだ聖観音像を安置したが、家臣の庭月利左衛門広綱から、広く一般に礼拝させるべきとの進言を受けて天文15年(1546年)に鮭川沿いの地に観音堂を建てた。それ以来、「庭月観音」と呼ばれるようになり、多くの信者を集めるようになったが、寛永10年(1633年)に鮭延氏が下総国古河(現・茨城県)に移されると、観音堂は一時荒廃した。そこで、新たな領主・戸沢氏により寛文11年(1671年)、現在地に移され、延宝4年(1676年)に盛大な落慶法要が営まれたという。現在は天台宗の寺院で、本尊は聖観世音菩薩立像であるが、これは戸沢氏が寄進した2代目のものとされてきた。ところが、最近の調査によれば、平安時代のものという結果が出たとのこと。「最上三十三観音霊場」の33番目、打止めの寺となっている。また、毎年8月18日に送り盆の行事として行われる鮭川での「灯ろう流し」は、仏式としては東日本方最大級の規模であるという。


庭月観音のHP

最上三十三観音のHPから(庭月)


写真1:「月蔵院」(庭月観音)入口の「おかげさま門」。「おかげさま」の心で潜ってほしいとのこと。すぐ傍に「鮭川」が流れている。


写真2:本堂(笈摺堂)。「笈摺(おいずり)」は巡礼者が白衣装束の上に羽織る袖のない薄い衣のことで、当寺が「最上三十三観音霊場」の打止めとなっているところから、巡礼の結願として笈摺を納めたことに由来するという。


写真3:仁王門


写真4:阿弥陀堂(千体仏)。当寺で最も古く、室町時代の建物とされる。


写真5:境内にあるストーンサークル(環状列石)。縄文時代中期のものと推定されている。


写真6:観音堂
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