大洗磯前神社(おおあらいいそさきじんじゃ)。
場所:茨城県東茨城郡大洗町磯浜町6890。茨城・千葉県道2号線(水戸鉾田佐原線)「大洗鳥居下」交差点から茨城県道108号線(那珂湊大洗線)に入り、東へ。自動車なら、「一の鳥居」の下を通って直ぐ左折して駐車場へ。「一之鳥居」から約300mで、海に向かって立つ「二之鳥居」正面石段。有名な磯浜に立つ鳥居は「二之鳥居」前にある。
当神社の創建は、所謂「六国史」の1つである「日本文徳天皇実録」齊衡3年(856年)に記事がある。式内社(名神大)で正史に創建の記事があるのは、とても珍しいのではないだろうか。曰く、「常陸国から次のような報告があった。鹿嶋郡大洗の海辺に新しく神が降りた。郡民の中に塩作りをする者があり、夜半に海を望むと天が光り輝いているのが見え、翌朝には一尺ほどの2つの怪石が海辺にあった。翌日、更に20余りの小石が二つの怪石に侍座するように並び、不思議な色をして、形は沙門(仏教修行者)に似ていた。里人の1人が神がかりして『我は大奈母知・少比古奈命である。昔、この国を造り常世の国に去ったが、人々の難儀を救うために再び戻って来た。』と言ったという。」。これにより、当地に「大奈母知命」即ち「大己貴命」を、那珂川の対岸に「少比古奈命」即ち「少名彦名命」を祀ったのが創祀という(少名彦名命」を祀ったのが「酒列磯前神社」となる。)。そして、やはり「文徳実録」によれば、翌年の天安元年(857年)には「酒列磯前神社」とともに官社に預かり、また、この2社が「藥師菩薩名神」と号することとなったという記事がある。そして、「延喜式神名帳」(延長5年:927年)には「大洗磯前薬師菩薩神社」として登載されている。このように、神社名に仏教の「菩薩」名がつくことも珍しいが、有名なのは豊前国一宮「宇佐神宮」(現・大分県宇佐市)で、「八幡大菩薩宇佐宮」(「延喜式神名帳」の記載)とも称された。仏教の「薬師」と言えば、普通「薬師如来」であるが、神仏混淆の時代、(日本の)神も悟り(解脱)を求めているという思想から、既に悟った「如来」ではなく、「菩薩」号を付けるのが一般的だったらしい。また、「薬師如来」の場合、「菩薩」のときに「十二誓願」という衆生を救う誓いを立てた(「薬師本願功徳経」)とされているところから、そういう神仏の恵みを期待したのかもしれない。
さて、このような由緒を持つ当神社も、中世以降は衰退し、戦国時代の永禄年間(1558~1570年)には戦火により、社殿が灰燼となった。以来、一小社となって細々と祭祀を続けてきたが、近世になって水戸藩第2代藩主・水戸光圀が社殿建設など再興に取りかかり、爾来水戸家の篤い保護を受けた、という。なお、現在の主祭神は「大己貴命」で、相殿に「少彦名命」を祀るが、これは「酒列磯前神社」の分霊だという。
大洗磯前神社のHP
写真1:「大洗磯前神社」の「一之鳥居」
写真2:「神磯の鳥居」
写真3:同上。ここに神が影向したという。
写真4:「二之鳥居」。海に向かって立つ。
写真5:石段脇の社号標「(国幣中社)大洗磯前神社」
写真6:石段の上から海(太平洋)を見る。
写真7:神門
写真8:拝殿
写真9:本殿(社殿は南東向き)
場所:茨城県東茨城郡大洗町磯浜町6890。茨城・千葉県道2号線(水戸鉾田佐原線)「大洗鳥居下」交差点から茨城県道108号線(那珂湊大洗線)に入り、東へ。自動車なら、「一の鳥居」の下を通って直ぐ左折して駐車場へ。「一之鳥居」から約300mで、海に向かって立つ「二之鳥居」正面石段。有名な磯浜に立つ鳥居は「二之鳥居」前にある。
当神社の創建は、所謂「六国史」の1つである「日本文徳天皇実録」齊衡3年(856年)に記事がある。式内社(名神大)で正史に創建の記事があるのは、とても珍しいのではないだろうか。曰く、「常陸国から次のような報告があった。鹿嶋郡大洗の海辺に新しく神が降りた。郡民の中に塩作りをする者があり、夜半に海を望むと天が光り輝いているのが見え、翌朝には一尺ほどの2つの怪石が海辺にあった。翌日、更に20余りの小石が二つの怪石に侍座するように並び、不思議な色をして、形は沙門(仏教修行者)に似ていた。里人の1人が神がかりして『我は大奈母知・少比古奈命である。昔、この国を造り常世の国に去ったが、人々の難儀を救うために再び戻って来た。』と言ったという。」。これにより、当地に「大奈母知命」即ち「大己貴命」を、那珂川の対岸に「少比古奈命」即ち「少名彦名命」を祀ったのが創祀という(少名彦名命」を祀ったのが「酒列磯前神社」となる。)。そして、やはり「文徳実録」によれば、翌年の天安元年(857年)には「酒列磯前神社」とともに官社に預かり、また、この2社が「藥師菩薩名神」と号することとなったという記事がある。そして、「延喜式神名帳」(延長5年:927年)には「大洗磯前薬師菩薩神社」として登載されている。このように、神社名に仏教の「菩薩」名がつくことも珍しいが、有名なのは豊前国一宮「宇佐神宮」(現・大分県宇佐市)で、「八幡大菩薩宇佐宮」(「延喜式神名帳」の記載)とも称された。仏教の「薬師」と言えば、普通「薬師如来」であるが、神仏混淆の時代、(日本の)神も悟り(解脱)を求めているという思想から、既に悟った「如来」ではなく、「菩薩」号を付けるのが一般的だったらしい。また、「薬師如来」の場合、「菩薩」のときに「十二誓願」という衆生を救う誓いを立てた(「薬師本願功徳経」)とされているところから、そういう神仏の恵みを期待したのかもしれない。
さて、このような由緒を持つ当神社も、中世以降は衰退し、戦国時代の永禄年間(1558~1570年)には戦火により、社殿が灰燼となった。以来、一小社となって細々と祭祀を続けてきたが、近世になって水戸藩第2代藩主・水戸光圀が社殿建設など再興に取りかかり、爾来水戸家の篤い保護を受けた、という。なお、現在の主祭神は「大己貴命」で、相殿に「少彦名命」を祀るが、これは「酒列磯前神社」の分霊だという。
大洗磯前神社のHP
写真1:「大洗磯前神社」の「一之鳥居」
写真2:「神磯の鳥居」
写真3:同上。ここに神が影向したという。
写真4:「二之鳥居」。海に向かって立つ。
写真5:石段脇の社号標「(国幣中社)大洗磯前神社」
写真6:石段の上から海(太平洋)を見る。
写真7:神門
写真8:拝殿
写真9:本殿(社殿は南東向き)