神が宿るところ

古社寺、磐座、不思議・パワースポット、古代史など極私的な興味の対象を見に行く

瓦塚窯跡

2018-12-01 23:48:34 | 史跡・文化財
瓦塚窯跡(かわらつかかまあと)。
場所:茨城県石岡市部原604ほか。茨城県道140号線(西小塙石岡線)沿い、「瓦会郵便局」から南東へ、約350mのところで左折(北東へ。「←鳴滝 瓦塚窯跡」の案内板がある。)、約200m進んだところで右折(南東へ)、斜面を上るように約250m進んだところが入口。駐車場なし。
「瓦塚窯跡」は、昭和43年に隣接する山林を開墾中に発見された古代窯跡で、発掘調査の結果、窯の構造が粘土質の地山をくり抜いてつくられた「地下式有段窖窯(ちかしきゆうだんあながま)」と判明した。天平13年(741年)の「国分寺建立の詔」に基づいて常陸国にも現・茨城県石岡市に「常陸国分寺」(2018年1月20日記事)・「常陸国分尼寺」(2018年1月27日記事)等が建立された際、その屋根に葺く瓦類を製造した窯跡とされている。ところが、その後の調査によって、南北130m・東西80mの範囲に、須恵器と呼ばれる硬質の土器を焼く窯跡が1基、瓦窯跡が34基、製鉄炉が1基あることが確認された。つまり、須恵器の窯は7世紀前半のものであり、瓦窯も「常陸国分寺」創建よりも早い8世紀前半には操業が開始されており、その瓦は「常陸国府」(2018年1月6日記事)や「茨城廃寺」(2018年2月3日記事)に供給されていたことが判明した。そして、「常陸国分寺」が衰退する10世紀前半までは継続的に操業されていたとみられている。なお、製鉄炉は8世紀半ば頃のもので、地下に穴を掘り、その上に炉壁を建てる半地下式の竪形炉と呼ばれるものとされる。当地でも砂鉄から鉄が生産されていたことがわかり、貴重な発見とされている。このように、大規模で、長期的に操業した窯跡であることが評価され、平成29年に国指定史跡に指定された。
因みに、県道沿いにある「瓦塚窯跡」への案内板の下には、「難台山ハイキングコース入口」という案内板もある。ここから登るには結構距離があると思うが、「愛宕山」~「難台山」~「吾国山」の尾根上に続くハイキングコースが整備されているようで、ひょっとして、「瓦塚窯跡」で工人として働いていた人々が見上げて信仰の対象になっていたということはないだろうか。


茨城県教育委員会のHPから(瓦塚窯跡)

石岡市のHPから(瓦塚窯跡)


写真1:「瓦塚窯跡」入口。説明板がある。ここから斜面を少し上る。


写真2:窯跡


写真3:同上(「第三号窯跡」)。「ハチ・マムシに注意」という札もかかっているが、とにかく蚊や虻など虫が多くて閉口した。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする