春日神社(かすがじんじゃ)。通称:上郷春日神社。
場所:茨城県つくば市上郷833。茨城県道24号線(土浦境線)と同133号線(赤浜谷田部線)の交差点(「つくば市中央消防署 豊里分署」付近)から、24号線を西へ約450mのところで左折(南へ)して狭い道路に入る。道なりに約220m進むと右手(北側)に「春日神社」という社号標がある。駐車場なし。前面道路が狭く、路上駐車もできないので注意。
社伝によれば、創建は承平元年(931年)。平高望の五子・平良文が東国鎮守府将軍に任ぜられて下向の折り、随従してきた藤原春信が「豊田城」の東北にあたる台豊田上郷に、鬼門除けとして大和国式内社(名神大)「春日大社」(現・奈良県奈良市)の分霊を勧請したのが創祀とされる。以来、春信の子孫が代々社司となり、のち岡田氏に改称して現在に至るという。なお、「豊田城」は現・茨城県常総市本豊田の小貝川右岸に、正平年間(1346~1370年)に桓武平氏の一族である豊田善基が築いたとされている(小貝川の堤防に「豊田城址」の石碑がある。)。よって、場所としては、確かに小貝川を隔てた北東に位置するが、創建時期は中世以降と思われる。現在の祭神は、春日大神。
なお、境内に「福寿増長祈願碑」という高さ138cm、幅75cm、厚さ15cmの板碑がある(つくば市指定文化財)。筑波地方産出の雲母片岩製で、古墳の石棺材だった可能性があるという。上部に「日天」と「月天」、中央に七言の詩偈(しげ)が刻まれ、左端に慶長12年(1607年)の銘が刻されている。この板碑には「雨乞石」または「竜神石」という通称があるが、それは、次のような伝承による。上郷地区は「金村別雷神社」(前項。通称:雷神様)と当神社の氏子に分かれていたが、雨乞いでは雷神様の方が御利益があった。そこで、当神社の氏子の中にも、こっそり雷神様に雨乞い祈願を行う者も出てきた。「いっそのこと、当神社は雷神様の末社になった方がよかろう。」との話が出る始末で、まずは、神様自身の意向を確認しようということになった。山伏に頼んで7日間の行をしてもらったところ、「春日大神は、雷神の家来になるのは不服だ。雨乞いのときは、日天月天の大石を小貝川に投げ込め。そうすれば、雨は降る。」とのお告げがあった。以来、雨乞い祈願のため、この板碑を担いで小貝川に入る儀式が行われ、明治初期まで続いていたという(読売新聞社水戸支局編著「いばらき 民話のふるさと」による。)。
写真1:「春日神社」鳥居
写真2:由来碑
写真3:社殿(覆屋)
写真4:中に本殿
写真5:東側から社殿を見る。無粋な太陽光パネルの向こうに見える赤い社殿が印象的。社殿は宝暦6年(1756年)に大修復をしたが、老朽化のため平成11年に建替えられたものという。
写真6:社殿背後の板碑「福寿増長祈願碑」。通称:「雨乞石」、「竜神石」。
場所:茨城県つくば市上郷833。茨城県道24号線(土浦境線)と同133号線(赤浜谷田部線)の交差点(「つくば市中央消防署 豊里分署」付近)から、24号線を西へ約450mのところで左折(南へ)して狭い道路に入る。道なりに約220m進むと右手(北側)に「春日神社」という社号標がある。駐車場なし。前面道路が狭く、路上駐車もできないので注意。
社伝によれば、創建は承平元年(931年)。平高望の五子・平良文が東国鎮守府将軍に任ぜられて下向の折り、随従してきた藤原春信が「豊田城」の東北にあたる台豊田上郷に、鬼門除けとして大和国式内社(名神大)「春日大社」(現・奈良県奈良市)の分霊を勧請したのが創祀とされる。以来、春信の子孫が代々社司となり、のち岡田氏に改称して現在に至るという。なお、「豊田城」は現・茨城県常総市本豊田の小貝川右岸に、正平年間(1346~1370年)に桓武平氏の一族である豊田善基が築いたとされている(小貝川の堤防に「豊田城址」の石碑がある。)。よって、場所としては、確かに小貝川を隔てた北東に位置するが、創建時期は中世以降と思われる。現在の祭神は、春日大神。
なお、境内に「福寿増長祈願碑」という高さ138cm、幅75cm、厚さ15cmの板碑がある(つくば市指定文化財)。筑波地方産出の雲母片岩製で、古墳の石棺材だった可能性があるという。上部に「日天」と「月天」、中央に七言の詩偈(しげ)が刻まれ、左端に慶長12年(1607年)の銘が刻されている。この板碑には「雨乞石」または「竜神石」という通称があるが、それは、次のような伝承による。上郷地区は「金村別雷神社」(前項。通称:雷神様)と当神社の氏子に分かれていたが、雨乞いでは雷神様の方が御利益があった。そこで、当神社の氏子の中にも、こっそり雷神様に雨乞い祈願を行う者も出てきた。「いっそのこと、当神社は雷神様の末社になった方がよかろう。」との話が出る始末で、まずは、神様自身の意向を確認しようということになった。山伏に頼んで7日間の行をしてもらったところ、「春日大神は、雷神の家来になるのは不服だ。雨乞いのときは、日天月天の大石を小貝川に投げ込め。そうすれば、雨は降る。」とのお告げがあった。以来、雨乞い祈願のため、この板碑を担いで小貝川に入る儀式が行われ、明治初期まで続いていたという(読売新聞社水戸支局編著「いばらき 民話のふるさと」による。)。
写真1:「春日神社」鳥居
写真2:由来碑
写真3:社殿(覆屋)
写真4:中に本殿
写真5:東側から社殿を見る。無粋な太陽光パネルの向こうに見える赤い社殿が印象的。社殿は宝暦6年(1756年)に大修復をしたが、老朽化のため平成11年に建替えられたものという。
写真6:社殿背後の板碑「福寿増長祈願碑」。通称:「雨乞石」、「竜神石」。