地蔵ケヤキ(じぞうけやき)。
場所:茨城県取手市下高井1306(「高源寺」境内)。国道294号線沿いのガソリンスタンド「エネオス 永山SS」のところの交差点から北へ(すぐに関東鉄道常総線の踏切を渡るので、国道6号線方面からなら、手前の「ゆめみ野入口」交差点を左折(南~北へ)して行く方が安全)、道なりに約1.1km、「香取八坂神社」鳥居の手前を右折(東へ)、約110m。駐車場有り。
「地蔵ケヤキ」は、「高源寺」境内にあるケヤキ(欅)の大樹で、目通り幹囲約10m、高さ約15m、樹齢1600年とされている(現地説明板による。)。中心の巨大な幹は、内部が大きく空洞となっているが、これは「高源寺」が火災に遭った際に類焼したことによるものという。その空洞に、いつの時代か不明だが、その名の由来となった石造の地蔵尊が祀られている。空洞が胎内を思わせるせいか、あるいは、今なお葉を茂らせる生命力にあやかろうとしてか、特に安産・子育てに御利益があるとされる。かつては、幹の丸く空いたところを潜ると御利益あらたかといわれたようだが、現在は根元の地面を固めないよう、ケヤキの周囲への立ち入りは禁止されている。
普蔵山 高源寺(ふぞうさん こうげんじ)。
寺伝によれば、承平元年(931年)、平将門が釈迦如来の霊験によって建立したという。当初は真言宗だったが、後に相馬七左衛門胤継とその後裔が当地を治めて開基となり、応安元年(1368年)に鎌倉「建長寺」から住職を迎えて(一説に、夢想国師を開山とする。)臨済宗建長寺派に改宗し、江戸時代に臨済宗妙心寺派に属したという。本尊は釈迦如来。
取手市のHPから(地蔵ケヤキ)
写真1:「高源寺」参道
写真2:山門
写真3:「地蔵ケヤキ」。山門を入って直ぐ、本堂前にある。ケヤキは成長が速く、大樹になりやすいが、それにしても、この幹の太さには驚く。
写真4:欅の中の地蔵像
写真5:幹に空いた丸い穴。山門を入って直ぐ見えるのが、これ。
写真6:本堂
写真7:「地蔵ケヤキ」の横にあるスダジイ。これも大きい(幹回り約5.5m)。他にも、カヤノキ(幹回り約4.4m)とツバキ(ベニカラコ、幹回り約2.0m)の大樹がある。
写真8:「大師堂」。「新四国相馬霊場八十八ヶ所」の第49番札所となっている。
場所:茨城県取手市下高井1306(「高源寺」境内)。国道294号線沿いのガソリンスタンド「エネオス 永山SS」のところの交差点から北へ(すぐに関東鉄道常総線の踏切を渡るので、国道6号線方面からなら、手前の「ゆめみ野入口」交差点を左折(南~北へ)して行く方が安全)、道なりに約1.1km、「香取八坂神社」鳥居の手前を右折(東へ)、約110m。駐車場有り。
「地蔵ケヤキ」は、「高源寺」境内にあるケヤキ(欅)の大樹で、目通り幹囲約10m、高さ約15m、樹齢1600年とされている(現地説明板による。)。中心の巨大な幹は、内部が大きく空洞となっているが、これは「高源寺」が火災に遭った際に類焼したことによるものという。その空洞に、いつの時代か不明だが、その名の由来となった石造の地蔵尊が祀られている。空洞が胎内を思わせるせいか、あるいは、今なお葉を茂らせる生命力にあやかろうとしてか、特に安産・子育てに御利益があるとされる。かつては、幹の丸く空いたところを潜ると御利益あらたかといわれたようだが、現在は根元の地面を固めないよう、ケヤキの周囲への立ち入りは禁止されている。
普蔵山 高源寺(ふぞうさん こうげんじ)。
寺伝によれば、承平元年(931年)、平将門が釈迦如来の霊験によって建立したという。当初は真言宗だったが、後に相馬七左衛門胤継とその後裔が当地を治めて開基となり、応安元年(1368年)に鎌倉「建長寺」から住職を迎えて(一説に、夢想国師を開山とする。)臨済宗建長寺派に改宗し、江戸時代に臨済宗妙心寺派に属したという。本尊は釈迦如来。
取手市のHPから(地蔵ケヤキ)
写真1:「高源寺」参道
写真2:山門
写真3:「地蔵ケヤキ」。山門を入って直ぐ、本堂前にある。ケヤキは成長が速く、大樹になりやすいが、それにしても、この幹の太さには驚く。
写真4:欅の中の地蔵像
写真5:幹に空いた丸い穴。山門を入って直ぐ見えるのが、これ。
写真6:本堂
写真7:「地蔵ケヤキ」の横にあるスダジイ。これも大きい(幹回り約5.5m)。他にも、カヤノキ(幹回り約4.4m)とツバキ(ベニカラコ、幹回り約2.0m)の大樹がある。
写真8:「大師堂」。「新四国相馬霊場八十八ヶ所」の第49番札所となっている。