神が宿るところ

古社寺、磐座、不思議・パワースポット、古代史など極私的な興味の対象を見に行く

雷電山 慈心院 萬福寺

2023-07-01 23:33:15 | 寺院
雷電山 慈心院 萬福寺(らいでんさん じしんいん まんぷくじ)。
場所:茨城県行方市羽生745。「羽生郵便局」前から国道355号線を北西へ約170mで右折(北へ)、道なりに約140m進んで右折(北東へ)、約95mで境内入口前。駐車場は、右手の狭い道路を約170m進んで左に入ったところにある(それぞれの曲がり角に案内看板あり。)。
寺伝によれば、寿永2年(1183年)、源平合戦に敗れた平家一族は「都落ち」して九州に向かったが、このとき平重盛(平清盛の嫡男)は既に亡くなっており、その遺臣・平貞能は重盛の遺骨を奉じて東国に逃れた。常陸国の「白雲山」(現・茨城県城里町の「白雲山 小松寺」(2019年5月25日記事))に遺骨を葬った後、更に追手を逃れて常陸平氏である常陸大掾氏の一族、行方次郎(平忠幹)の庇護をうけた。現・行方市若海に草庵を結び、重盛の祈願仏であったという阿弥陀如来立像を安置し、主君・重盛と没落した平家一門の冥福を祈って生涯を終えた。これが当寺院の前身とされる。南北朝時代には、相模国から芹沢氏(常陸大掾氏の嫡流)が移り住み、現・行方市芹沢~若海周辺を治めていたが、寛正5年(1464年)、芹沢城主・芹沢俊幹が忠伝和尚を招き、実母である貞覚尼(慈心院殿)の菩提を弔うとともに、重盛を弔ってきた草庵を芹沢に移して「慈心院 萬福寺」としたのを当寺院の開基とする。江戸時代になると、水戸藩第2代藩主・徳川光圀の寺社改革により、元禄10年(1697年)に現在地に移転させられたという。現在は天台宗の寺院で、本尊は阿弥陀如来。


「天台宗 雷電山慈心院 萬福寺」のHP


写真1:「萬福寺」境内入口


写真2:仁王門。天正6年(1578年)に「逢善寺」(現・茨城県稲敷市。2022年5月28日記事)の仁王門として建立されたもので、当寺院の住職が元「逢善寺」の留守住職をしていた縁故から譲り受け、霞ヶ浦を船で運んで享保9年(1724年)に移築したものという。室町時代末期の貴重な遺構として茨城県指定有形文化財となっている。


写真3:金剛力士像(吽形)。享保8年(1723年)銘がある。行方市指定有形文化財(阿形・吽形とも)。


写真4:石段


写真5:阿弥陀堂。石段を上って直ぐの正面にある。貞享4年(1687年)建立。こちらに本尊である、平重盛の祈願仏であったという阿弥陀如来立像と観世音菩薩・勢至菩薩の両脇侍立像が安置されている。阿弥陀如来立像は高さ約96cmで、所謂「歯吹きの阿弥陀」(わずかに開口して歯が見える形。口から光を放って十方を照らすという。)で、全国的にも珍しいもの。なお、製作年代は室町時代中期頃とされる。阿弥陀堂、阿弥陀如来立像・両脇侍像とも、茨城県指定有形文化財。


写真6:本堂。阿弥陀堂の直ぐ後ろにある。こちらにも鎌倉時代後期頃の木像阿弥陀如来立像(行方市指定有形文化財)が安置されている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする