吾嬬神社(あづまじんじゃ)。
場所:東京都墨田区立花1-1-15。JR総武本線「亀戸」駅から明治通りを北上、約900m。北十間川に架かる「福神橋」を渡り、右折(東へ)、直ぐ。
当神社の創建時期は不明であるが、次のような伝承がある。即ち、日本武尊が東征の折、相模国から上総国に渡るため海に乗り出したとき、海神の怒りを買って暴風が起こり、遭難の危機に陥った。このとき同行していた后の弟橘媛(オトタチバナヒメ)が海神の怒りを解くために海に身を投げたところ、海が静まり、日本武尊一行は忽然と現れた浮島に無事上陸できた。この浮島に弟橘媛の着物が流れ着いたところから、これを築山に埋納し吾嬬大権現として祀ったのが当神社の創始である、というものである。また、当神社の境内に「連理の楠」という神木があるが、これは1つの根から2本の幹が出たもので、日本武尊が食事に使った箸を挿したものが大きく成長したものとされ、夫婦間の深い契りを象徴している。なお、「吾嬬」というのは、後に日本武尊が碓氷峠(日本書紀)または足柄峠(古事記)から東に向かい、弟橘媛を偲んで「あづまはや」(ああ、わが妻よ)と嘆いたということに因むもの。東国を「あづま(あずま)」と呼ぶのもこの故事により、また、関東には「吾妻神社」という神社が多数あって、弟橘媛命を祀っている。当神社も弟橘媛命を主祭神とし、日本武尊を相殿に祀る。鎮座地の「立花」というのも、当神社の弟橘媛命に由来するらしい。
さて、当神社の辺りは、江戸時代には「吾嬬の森」、「浮州の森」と呼ばれた微高地で、「日本武尊が築いた塚」との伝承があるように、古代の古墳ではないかという説もある。現在は長方形だが、本殿のある部分が更に少し高くなっていて、かつては円形になっていたといい、ひょっとすると前方後円墳だったかも?ということらしい。
墨田区のHPから(吾嬬神社の連理の楠)
写真1:「吾嬬神社」境内入口と社号標
写真2:鳥居と社殿。周囲より一段高くなっていることがわかる。長方形に整地されているが、古墳説もある。
写真3:古い社号標
写真4:神木「連理の楠」。墨田区の登録有形文化財。明治時代には幹周りが4~5mはあったというが、大正時代に枯れてしまった。この木の葉を煎じて飲むと、諸病に効くとされていたという。
写真5:「吾嬬森」の碑
写真6:石祠の本殿。更に一段高くなっている。
写真7:当神社の前を東西に流れる「北十間川」(福神橋から西を見る。正面に東京スカイツリー)。この川筋が古代~中世の海岸線だったらしい。
場所:東京都墨田区立花1-1-15。JR総武本線「亀戸」駅から明治通りを北上、約900m。北十間川に架かる「福神橋」を渡り、右折(東へ)、直ぐ。
当神社の創建時期は不明であるが、次のような伝承がある。即ち、日本武尊が東征の折、相模国から上総国に渡るため海に乗り出したとき、海神の怒りを買って暴風が起こり、遭難の危機に陥った。このとき同行していた后の弟橘媛(オトタチバナヒメ)が海神の怒りを解くために海に身を投げたところ、海が静まり、日本武尊一行は忽然と現れた浮島に無事上陸できた。この浮島に弟橘媛の着物が流れ着いたところから、これを築山に埋納し吾嬬大権現として祀ったのが当神社の創始である、というものである。また、当神社の境内に「連理の楠」という神木があるが、これは1つの根から2本の幹が出たもので、日本武尊が食事に使った箸を挿したものが大きく成長したものとされ、夫婦間の深い契りを象徴している。なお、「吾嬬」というのは、後に日本武尊が碓氷峠(日本書紀)または足柄峠(古事記)から東に向かい、弟橘媛を偲んで「あづまはや」(ああ、わが妻よ)と嘆いたということに因むもの。東国を「あづま(あずま)」と呼ぶのもこの故事により、また、関東には「吾妻神社」という神社が多数あって、弟橘媛命を祀っている。当神社も弟橘媛命を主祭神とし、日本武尊を相殿に祀る。鎮座地の「立花」というのも、当神社の弟橘媛命に由来するらしい。
さて、当神社の辺りは、江戸時代には「吾嬬の森」、「浮州の森」と呼ばれた微高地で、「日本武尊が築いた塚」との伝承があるように、古代の古墳ではないかという説もある。現在は長方形だが、本殿のある部分が更に少し高くなっていて、かつては円形になっていたといい、ひょっとすると前方後円墳だったかも?ということらしい。
墨田区のHPから(吾嬬神社の連理の楠)
写真1:「吾嬬神社」境内入口と社号標
写真2:鳥居と社殿。周囲より一段高くなっていることがわかる。長方形に整地されているが、古墳説もある。
写真3:古い社号標
写真4:神木「連理の楠」。墨田区の登録有形文化財。明治時代には幹周りが4~5mはあったというが、大正時代に枯れてしまった。この木の葉を煎じて飲むと、諸病に効くとされていたという。
写真5:「吾嬬森」の碑
写真6:石祠の本殿。更に一段高くなっている。
写真7:当神社の前を東西に流れる「北十間川」(福神橋から西を見る。正面に東京スカイツリー)。この川筋が古代~中世の海岸線だったらしい。
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