神が宿るところ

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釈迦山 大圓寺

2021-08-21 23:32:30 | 寺院
釈迦山 大圓寺(しゃかさん だいえんじ)。
場所:茨城県守谷市大木676。「御霊山」(前項)の北西、約200m。駐車場有り。
寺伝によれば、第33代・推古天皇(在位:593~628年)のとき、悦翁が開山したという。...ちょっと、古すぎて何とも言えない。現・守谷市には(あるいは隣接する茨城県取手市にも)平安時代に創建という寺院も多いが、それは平将門に因んだものが殆どで、その後しばらく消息不明というケースが多い。当寺院の創建はもっと早いが、やはりその後はしばらく不明で、現在は曹洞宗だが、いつ曹洞宗になったかも不明。天正年間(1573~1591年)、現・千葉県柏市の藤谷城主・相馬源三郎胤吉が当寺院に詣でた後、本尊・釈迦如来の夢を見たことから、堂宇を修理して名刀を奉納したという。その後一時衰退したが、江戸時代に入ると、旗本の一色義直が修理して再興したとされる。本尊は、聖徳太子作との伝承がある木造の釈迦如来坐像(茨城県指定文化財)。像高146cm、ケヤキ(欅)材の割矧造で、製作者は不明だが、定朝様式の影響がみられるところから、製作年代は平安時代末~鎌倉時代初期とみられている。左手の一部が欠損していることなどもあり、本来は薬師如来であったかもしれない(薬師如来は左手に薬壺を持つ。)。結跏趺坐が左足を上にした形になっているとのことから、これは「降魔坐」と呼ばれ、禅系統で主流の坐り方らしいので、当寺院が中世以前に創建されていたとしても、曹洞宗になったときに釈迦如来像として入手したのではないかとも思う。
また、境内にムクノキ(椋木)の巨木がある。樹高約18m、周囲約5.9mで、樹齢約500年と推定されている(現地説明板による。守谷市指定天然記念物)。当地の「大木」という地名の由来となったとの伝承があるが、この地名は平安時代末頃には既にあった可能性もあり、疑わしいようである。
なお、墓地の奥から西に隣接して「六十六所神社」が鎮座している。社伝によれば、応永4年(1397年)に出雲国一宮「出雲大社」から分霊を迎えて創建されたという。現在の主祭神は大國主命。ちょっと珍しい社号は、元は現・守谷市大木660に建立されたからという。


茨城県教育委員会のHPから(木造 釈迦如来坐像)


写真1:「大圓寺」入口。寺号標(「禅 曹洞宗 釈迦山 大圓寺」)。


写真2:同上、本堂。モダンな感じのコンクリート造だが、伝統的な切妻破風を付ける?工事中だった。


写真3:同上、ムクノキの巨木


写真4:同上、墓地の奥に石造の弘法大師像がある。その先に「六十六所神社」社殿がある。


写真5:「六十六所神社」一の鳥居。扁額は「六十六社大神」となっている。(場所:茨城県守谷市大木673、駐車場なし)


写真6:同上、二の鳥居


写真7:同上、社殿


写真8:同上、こちらにも境内に石造弘法大師像がある。
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