鹿見塚古墳(しかみつかこふん)。大生西部2号墳。
場所:茨城県潮来市大生890-2。茨城県道187号線(矢幡潮来線)と同189号線(大賀牛堀線)の交差点(北の角に「特別老人養護ホーム いたこの里」がある。)から、187号線を北西へ約260m進んだところで左折して(北西へ)、未舗装路に入り、直ぐ。駐車スペースあり。「大生神社」(平成29年12月9日記事)の長い参道の入口の、県道を隔てた向かい側辺り。
北浦の西側に広がる「大生原(おおうはら)」と呼ばれる台地上には110基以上の古墳が存在し、茨城県下では最大級の古墳群として「大生古墳群」と称されている。特に、「大生神社」(前項)の西側にある「大生西部古墳群」は代表的なもので、その中の「鹿見塚古墳」は盟主的な古墳であるとされている。「鹿見塚古墳(大生西部2号墳)」は前方後円墳で、その大きさは全長約58m、後円部径約34m、前方部幅約32m。西側くびれ部分に造り出しがあるとされ、「片耳式前方後円墳」であるとしている。後円部が中腹から急に高く付き出している墳形が目につき、前方部の広がりが少ないのが特徴となっている。築造当時から現在のような墳形であったかは不明だが、現・鹿嶋市の「夫婦塚古墳」(2017年11月11日記事)にも共通する特徴であるという。築造時期については、現地説明板等では「古墳時代中期(5世紀)頃」となっているが、昭和27年から「子子舞塚古墳」(大生西部1号墳)等の発掘調査を行った国学院大学・大場磐雄教授によれば、6世紀後半~7世紀後半と推定している。なお、大場教授は、「大生神社」の由緒等も調査し、大生古墳群が「多(オフ)氏」の奥津城であろうとした。そして、「子子舞塚古墳」からは箱式石棺・玉類・円筒埴輪・直刀などが出土しているが、副葬品としては貧弱であり、「大生古墳群」が築造された6世紀後半~7世紀後半には「多氏」の権力は衰退し、地方の1豪族に過ぎないような地位になったとも推定している。
因みに、「鹿見塚古墳」は昭和46年に、「大生古墳群」は昭和50年に茨城県指定文化財に指定されている。
茨城県教育委員会のHPから(鹿見塚古墳) :ただし、地図は不正確
写真1:「鹿見塚古墳」ほぼ全景。南東側から。
写真2:同上、後円部がかなり急な山形。
写真3:同上、前方部から後円部を見る。
写真4:同上、後円部から前方部を見る。前方部に広がりが少ない。
写真5:同上、前方部。南西向き。
写真6:「天神塚古墳」(「鹿見塚古墳の北西、約150m)。北側から見る。写真右手前が前方部、左手奥が後円部。「天神塚古墳」(大生西部4号墳)も前方後円墳で、こちらの方が大きい(全長約63m、後円部径約40m)。
写真7:「古墳子子前塚」石碑。実物の「子子舞塚古墳(まごまいつかこふん)」は、前方部の一部しか残っていないとのことで、よくわからなかった。
場所:茨城県潮来市大生890-2。茨城県道187号線(矢幡潮来線)と同189号線(大賀牛堀線)の交差点(北の角に「特別老人養護ホーム いたこの里」がある。)から、187号線を北西へ約260m進んだところで左折して(北西へ)、未舗装路に入り、直ぐ。駐車スペースあり。「大生神社」(平成29年12月9日記事)の長い参道の入口の、県道を隔てた向かい側辺り。
北浦の西側に広がる「大生原(おおうはら)」と呼ばれる台地上には110基以上の古墳が存在し、茨城県下では最大級の古墳群として「大生古墳群」と称されている。特に、「大生神社」(前項)の西側にある「大生西部古墳群」は代表的なもので、その中の「鹿見塚古墳」は盟主的な古墳であるとされている。「鹿見塚古墳(大生西部2号墳)」は前方後円墳で、その大きさは全長約58m、後円部径約34m、前方部幅約32m。西側くびれ部分に造り出しがあるとされ、「片耳式前方後円墳」であるとしている。後円部が中腹から急に高く付き出している墳形が目につき、前方部の広がりが少ないのが特徴となっている。築造当時から現在のような墳形であったかは不明だが、現・鹿嶋市の「夫婦塚古墳」(2017年11月11日記事)にも共通する特徴であるという。築造時期については、現地説明板等では「古墳時代中期(5世紀)頃」となっているが、昭和27年から「子子舞塚古墳」(大生西部1号墳)等の発掘調査を行った国学院大学・大場磐雄教授によれば、6世紀後半~7世紀後半と推定している。なお、大場教授は、「大生神社」の由緒等も調査し、大生古墳群が「多(オフ)氏」の奥津城であろうとした。そして、「子子舞塚古墳」からは箱式石棺・玉類・円筒埴輪・直刀などが出土しているが、副葬品としては貧弱であり、「大生古墳群」が築造された6世紀後半~7世紀後半には「多氏」の権力は衰退し、地方の1豪族に過ぎないような地位になったとも推定している。
因みに、「鹿見塚古墳」は昭和46年に、「大生古墳群」は昭和50年に茨城県指定文化財に指定されている。
茨城県教育委員会のHPから(鹿見塚古墳) :ただし、地図は不正確
写真1:「鹿見塚古墳」ほぼ全景。南東側から。
写真2:同上、後円部がかなり急な山形。
写真3:同上、前方部から後円部を見る。
写真4:同上、後円部から前方部を見る。前方部に広がりが少ない。
写真5:同上、前方部。南西向き。
写真6:「天神塚古墳」(「鹿見塚古墳の北西、約150m)。北側から見る。写真右手前が前方部、左手奥が後円部。「天神塚古墳」(大生西部4号墳)も前方後円墳で、こちらの方が大きい(全長約63m、後円部径約40m)。
写真7:「古墳子子前塚」石碑。実物の「子子舞塚古墳(まごまいつかこふん)」は、前方部の一部しか残っていないとのことで、よくわからなかった。
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