神が宿るところ

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鳥見神社(千葉県印西市中根)

2013-08-24 23:41:44 | 神社
鳥見神社(とりみじんじゃ)。通称:中根鳥見神社。※「鳥見」の読みは「とみ」と「とりみ」があり、ここでは千葉県神社庁のHPの振り仮名によった。
場所:千葉県印西市中根1339。本埜第一小学校の北東、約300m。駐車場有り。
社伝によれば、崇神天皇5年(紀元前93年)の創建という。また、「千葉縣本埜村誌」によれば、景行天皇40年(110年)に日本武尊が東夷を征伐した際、当地に大和国鳥見山の神霊を祀って東国の鎮神としたとする。治承4年(1181年)、源頼朝が印旛浦遊覧の折に参拝し、良田三町を寄進したという。祭神は、饒速日命・宇摩志眞知命・御炊屋姫命。
当神社も標高約26mの台地上にある。また、当神社の南西、約600m(直線距離)のところには、大同2年(807年)創建という「玄林山 龍腹寺」(2012年7月7日記事)もあって、相応の由緒の古さも感じられる。そして、「中根」という地名こそ、「鳥見神社」が分布する地域の中心、根源の地を示すものだともいう。

今となっては、どの「鳥見神社」が総本社かは決めがたいが、実は全く別の説もある。千葉県中央博物館大利根分館の佐藤誠氏によれば、「鳥見の丘」は印旛郡栄町矢口の台地(国道356号線(利根水郷ライン)に面する「矢口工業団地」(日本食研などの工場がある。)の南側)であり、具体的には「一之宮神社」(通称:矢口一之宮明神、鎮座地:印旛郡栄町矢口1)の場所がそれであり、「一之宮神社」こそが印旛の「鳥見神社」の本宮であるという。元は、物部氏がその祖神として「鳥見神社」を創建するが、その後、非物部系の大生部氏が移動してきて物部氏は現・印西市周辺に移住して各地に「鳥見神社」を建てたが、栄町矢口の「鳥見神社」本宮は衰退したということらしい。この説は、「一之宮神社」に伝わる古文書の記録と現地調査(印西市周辺の「鳥見神社」からは「香澄郷」(現・潮来付近)は見えないと判断)によるとのこと。その根拠となった古文書がどの程度信じられるのか判らず、何とも言えないのだが・・・。


「ちばの観光まるごと紹介」のHPから(中根鳥見神社)

「白井市のご近所紹介」さんのHPから(鳥見神社&宗像神社) :これは労作

「神社探訪・狛犬見聞録」さんのHPから(一之宮神社)


写真1:「鳥見神社」(中根)正面鳥居


写真2:同上、拝殿


写真3:同上、簡素な社殿
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