神が宿るところ

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足柄関所跡

2011-11-25 23:57:24 | 史跡・文化財
足柄関所跡(あしがらせきしょあと)。
場所:静岡県駿東郡小山町竹之下と神奈川県南足柄市矢倉沢の境界付近。静岡県道・神奈川県道78号線(御殿場大井線)の足柄峠付近。「足柄峠広場」に駐車場有り。
8世紀末になると、律令制度が動揺し始め、次第に維持し難くなっていく。都の権威が衰え、9世紀には東国では各地で騒乱が起こるようになる。元慶2年(878年)の地震により相模国分寺の本尊である薬師如来像及び脇持仏像が破損し、その後火災により焼失したとの不吉な知らせが都に届いた。ちょうどその頃、足柄峠付近で、都へ運ぶ調庸(租税)の荷や馬を群盗(「しゅう馬の党」(「しゅう」は人偏に就という字)という。)が奪う事件が続発し、寛平元年(889年)には物部氏永という「強盗首」が蜂起し、暴れまわった。このようなことから、昌泰2年(899年)、相模国足柄坂・碓氷坂に関を設置する旨の太政官符が発せられている。ただし、当時、足柄峠の関所がどの場所に設けられたかは不明(峠付近ではなく、麓に設けられることのほうが多かったともいう。)で、現在の関所跡も、黒澤明監督の映画「乱」の撮影で使われたセットを移築したものだとか(笑)。
因みに、寛平元年(889年)、高望王が「平朝臣」の氏姓を与えられ、昌泰元年(898年)には上総介に任じられて、任地の上総国に赴いた。平高望は息子ら(平国香等)とともに関東地方で勢力を拡大し、いわゆる坂東平氏の基盤を固めたとされる。こうして、武士の時代に入っていくことになるのである。
さて、「足柄関所跡」の県道向かい側に「足柄山 聖天堂」がある。現在は、曹洞宗の「大雄山 宝鏡寺」(住所:静岡県駿東郡小山町竹之下1462)に属するが、寺伝によれば、相模国早川の海辺に聖天像が流れ着いていたのを地元民が拾い上げて祀っていたのを、弘仁2年(811年)に弘法大師が足柄山に祀ったとされる。「足柄山 聖天堂」の本尊は、「大聖歓喜天双身天王」(略して「聖天」)の白い石像というが、秘仏のため見ることはできない。関守の神が「聖天」というのは珍しい(「聖天」は財福の神とされる。)が、元々「聖天」は悪神であったのが、観世音菩薩によって護法善神となったという説話がある。このため、「聖天」を祀る場合には、十一面観世音菩薩も併せて祀ることが多いという。したがって、元は観音像も祀られていて、日本坂峠にある「高草山 法華寺」(2011年4月22日記事)と同様、峠を越える人々を援助した「布施屋」の機能を持っていたのかもしれない。


写真1:「足柄関所跡」。


写真2:近くにある「足柄峠一里塚」。東海道が足柄路から箱根路に変更されたのは元和4年(1618年)のことという。


写真3:向かい側にある「足柄山 聖天堂」。ここにも、熊に跨る金太郎像がある。
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