神が宿るところ

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波崎の大タブ

2022-08-13 23:36:09 | 巨樹
波崎の大タブ(はさきのおおたぶ)。別名:火伏せの樹。
場所:茨城県神栖市波崎3355(「神善寺」境内)。国道124号線「波崎総合支所入口」交差点から北東へ約600m進んで左折(北西へ)、国道117号線(深芝浜波崎線)を約1.3km。左側(西側)少し奥に「神善寺」山門が見える。駐車場スペースあり。
「波崎の大タブ」は、樹高15m、周囲8m10cm、樹齢約千年余(平成2年の神栖市教育委員会の現地説明板による。)というタブノキ(椨)の巨樹。樹木の大きさのランキングにはいろいろな考え方があり、基本的には幹周によるのだろうが、それでみても「波崎の大タブ」はタブノキで全国第10位以内には入り、茨城県内では最大クラスとされる。実際に見ると、広がった根張りの上に大きなコブがあり、横に伸びた枝が太く、長い。そのために、データよりも大きく感じる。昭和35年に茨城県指定天然記念物に指定され、「新日本名木百選」(平成2年)に、茨城県では取手市の「地蔵ケヤキ」(2021年10月9日記事)とともに選ばれている。
なお、「火伏せの樹」という別名は、天明年間(1781~1789年)に大火が発生した際、この木が延焼を食い止めたという霊験による。また、太平洋戦争末期の空襲でも、焼夷弾もこの木を避けるように落ち、火災に遭わなかった。このため、現在でも、「神善寺」には家内安全・火魔退散を祈願して護摩を焚く儀式が伝わっているという。

益田山 相応院 神善寺(ますださん そうおういん しんぜんじ)。
寺伝によれば、天喜4年(1056年)、高野山(「金剛峯寺」)から貞祐上人が十二善神を持ち来たり、現在地に開山したという。現在は真言宗智山派に属し、本尊は大日如来坐像(檜材の寄木造りで、室町時代の作と推定。茨城県指定文化財)。また、境内に朱塗りの釈迦堂があり、堂本尊は釈迦涅槃像(檜材の寄木造りで、鎌倉時代作と推定。茨城県指定文化財)。

蛇足:現・神栖市南部(旧・波崎町)は太平洋鹿島灘に東南に伸びた砂洲で、標高5m程度の平坦地が続いているが、古代には、標高がやや高いところが小島のように点在していたようである。当地の地名(字)は「舎利」といって、仏教にいう「仏舎利」(釈迦の遺骨)に因むのかと思うところだが、そうではなく、元は「砂里」だったという。タブノキは暖地の海岸近くに自生することが多く、成長が速くて巨樹になりやすい。古くから船の位置を知る目印になり、木材は船の用材とされた。民俗学者・折口信夫によれば、タブノキは、海を渡ってきた日本人の祖先の漂着地の印、漂着神の依り代だったという。因みに、千葉県香取市の「府馬の大クス」(2014年5月3日記事)も樹種としてはタブノキで、丘の東側の低くなっているところは、古代には海が入り込んでいたと思われ、やはり海上交通の目印になっていたかもしれない(「波崎の大タブ」と「府馬の大クス」とは、直線距離で約18km)。


茨城県教育委員会のHPから(波崎の大タブ)
同(木造 大日如来坐像)
同(木造 釈迦涅槃像)


写真1:「神善寺」山門


写真2:山門を潜ると、すぐ左手に「波崎の大タブ」がある。


写真3:同上、横に伸びた枝が凄い。


写真4:同上


写真5:同上、根元には約60体の大師像が、巨樹に向かって並べられている。


写真6:本堂


写真7:釈迦堂。神栖市指定文化財。

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