神が宿るところ

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良文貝塚

2014-05-17 23:59:01 | 史跡・文化財
良文貝塚(よしぶみかいづか)。
場所:千葉県香取市貝塚。県道265号線(小見川海上線)を小見川南小学校から南東へ約1.2km、「国指定史跡 縄文貝層」という案内板のあるところで狭い道路に約100m入る。駐車場なし。
「良文貝塚」は、利根川下流域で最大級の貝塚群で、標高40~50mの台地上の広い範囲に分布している。中には3mも堆積した貝層もあり、学術的価値が高いとして、昭和5年、貝塚としては千葉県内で初めて国の史跡に指定された。「良文」というのは、当地が「良文村」であった(明治22年~昭和30年)からで、晩年、この辺りに住んでいたという平良文に因む(前項「夕顔観音塚(伝平良文墓)」参照)。ハマグリ・アサリ等の貝類のほか、サメ・タイ等の魚類、サル・イノシシ等の哺乳類の骨、土器・貝輪等が出土している。中でも、国内でも類例が少ない香炉形顔面付土器が注目される。その名の通り、人面の装飾の付いた土器で、仏具の香炉に似た形をしているが、香炉として使われたかどうかはわからない。ただ、呪術的な意味が感じられ、祭祀用のものであるとみられている。これが貝塚にあったということは、貝塚が単なるゴミ捨て場ではなく、何か神聖な意味のある場所だったのかもしれない。
なお、「良文貝塚」のすぐ近くに「豊玉姫神社」が鎮座している(住所:千葉県香取市貝塚117-1、駐車スペースあり。)。当神社は、社伝によれば、日本武尊が東征の際、海上安全を祈願して、この地に創始されたという。あるいは、景行天皇が日本武尊の戦跡を偲んで当地を訪れた際に創建されたともいう。往古は当地海上郡編玉郷の総社として「編玉総社大宮大明神」、中世には「新宮大明神」とも称され、明治5年に現在の「豊玉姫神社」となった。主祭神の豊玉姫命は、海神である綿津見神(ワタツミ)の娘で、山幸彦こと火遠理命(ホオリ)と結婚し、鵜茅不合葺命(ウガヤフキアエズ)を産む。この出産のとき、八尋和邇(やひろわに:サメ?)または龍の姿となったとされる。鵜茅不合葺命の子が神武天皇であるから、豊玉姫命は天皇家の直接の祖先に当たる。そういう意味では、海神の一族でもあり、天皇家の祖神でもあることになり、日本武尊あるいは景行天皇が祀る理由があることになる。なお、上記の「良文貝塚」から出土した「香炉形顔面土器」は、「香取市貝塚史跡保存会」の所有となっているが、当神社に保管されており、毎年「文化の日」から2日間公開されているとのこと。
現在、当地から海(太平洋)までは直線距離で少なくとも11kmは離れている(北東方面)が、古代には東に「香取海」という内海が広がっていたといい、あるいは当地の傍まで海岸線が迫っていたのかもしれない。


香取市のHPから(良文貝塚)


写真1:「史跡 良文村貝塚」の石碑


写真2:石碑の向かい側にある貝層見学施設


写真3:県道沿いにある「豊玉姫神社」の石造鳥居と社号標。写真には写っていないが、向って左手に「良文貝塚」の説明板が設置されている。神社の境内はこの先、約250m。


写真4:「豊玉姫神社」木造の鳥居


写真5:同上、社殿
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