山崎ひょうたん塚古墳(やまのさきひょうたんづかこふん)。
場所:千葉県佐倉市下根字上代343-1。国道296号線「歴史博物館」交差点から県道65号線(佐倉印西線)に入り道なりに北上、約700mのところで狭い道路に右折(東へ)。突き当りが「(岩名)麻賀多神社」と「岩名天神前遺跡」のある公園で、そこから北西へ約100m(公園前に案内標識あり)。駐車場なし(古墳前の道路は狭いので注意)。
「山崎ひょうたん塚古墳」は、その他のとおり「瓢箪」形が残っている前方後円墳で、現存の大きさは全長約37m、後円部径約25m、前方部幅約14m。前方部の一部が削られているので、当初は全長40mを超える古墳だったらしい。標高約29mの台地縁辺にあり、西側には鹿島川が流れるが、古代には印旛沼が眼下にあったものと思われる。発掘調査は行われておらず、墳墓の内部構造や副葬品等は不明だが、古墳の形状等から古墳時代前期(現地の説明板では4世紀)のものとされる。なお、かつては、この古墳の南にもう1つの古墳(消滅)があり、夫婦塚と呼ばれていたという。
因みに、近くにある「岩名天神前遺跡」は、関東地方最古とされる弥生時代の墓の遺跡で、一度死者を土葬・風葬等で白骨化させ、それを細片にして再び土器の壺に納める葬法を行っていたことがわかった。7基の墓壙と23個体の土器が発見され、その内の9個から人骨片が検出されたという。この遺跡の調査結果から、このような墓を「再葬墓」というようになったとのこと。弥生時代から、この台地は聖なる場所だったのかもしれない。
写真1:「山崎ひょうたん塚古墳」。東側から見る。向って左が前方部、右が後円部。古墳の向こう側は崖になっている。
写真2:同上、北側から見る。
写真3:「(岩名)麻賀多神社」(住所:佐倉市岩名250)。創建時期不明。祭神:稚産霊命
写真4:「(岩名)麻賀多神社」横の公園内に「岩名天神前遺跡」がある。
場所:千葉県佐倉市下根字上代343-1。国道296号線「歴史博物館」交差点から県道65号線(佐倉印西線)に入り道なりに北上、約700mのところで狭い道路に右折(東へ)。突き当りが「(岩名)麻賀多神社」と「岩名天神前遺跡」のある公園で、そこから北西へ約100m(公園前に案内標識あり)。駐車場なし(古墳前の道路は狭いので注意)。
「山崎ひょうたん塚古墳」は、その他のとおり「瓢箪」形が残っている前方後円墳で、現存の大きさは全長約37m、後円部径約25m、前方部幅約14m。前方部の一部が削られているので、当初は全長40mを超える古墳だったらしい。標高約29mの台地縁辺にあり、西側には鹿島川が流れるが、古代には印旛沼が眼下にあったものと思われる。発掘調査は行われておらず、墳墓の内部構造や副葬品等は不明だが、古墳の形状等から古墳時代前期(現地の説明板では4世紀)のものとされる。なお、かつては、この古墳の南にもう1つの古墳(消滅)があり、夫婦塚と呼ばれていたという。
因みに、近くにある「岩名天神前遺跡」は、関東地方最古とされる弥生時代の墓の遺跡で、一度死者を土葬・風葬等で白骨化させ、それを細片にして再び土器の壺に納める葬法を行っていたことがわかった。7基の墓壙と23個体の土器が発見され、その内の9個から人骨片が検出されたという。この遺跡の調査結果から、このような墓を「再葬墓」というようになったとのこと。弥生時代から、この台地は聖なる場所だったのかもしれない。
写真1:「山崎ひょうたん塚古墳」。東側から見る。向って左が前方部、右が後円部。古墳の向こう側は崖になっている。
写真2:同上、北側から見る。
写真3:「(岩名)麻賀多神社」(住所:佐倉市岩名250)。創建時期不明。祭神:稚産霊命
写真4:「(岩名)麻賀多神社」横の公園内に「岩名天神前遺跡」がある。
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