府馬の大クス(ふまのおおくす)。
場所:千葉県香取市府馬2395(「宇賀神社」境内)。県道28号線(旭小見川線)から、府馬郵便局の南東約300mのところ(「府馬の大クス」の案内板あり)で左折(北へ)、約500m。駐車場有り。途中の道路が狭いので注意。なお、台地の北側の道路沿いに立派な駐車場もある(ただし、「府馬の大クス」までは徒歩で、かなり登る。)。
「府馬の大クス」は、樹高約20m、幹周り約12m、根周り約27.5mというタブノキ(椨)の巨樹で、樹齢は1300年~1500年とされる。昭和63年の環境庁による調査では、全国第3位の大きさという。大正15年に「府馬の大クス」として国の天然記念物に指定されたが、昭和44年の調査でクスノキ(楠)ではなく、タブノキであることが判明した。もっとも、タブノキはクスノキ科に属し、俗に「イヌグス」、「タマグス」とも呼ばれることから、強ち誤りとも言えないだろう。
「府馬の大クス」がある「宇賀神社」は、社伝によれば宝亀4年(773年)に宇気母知神を勧請したのを創始とする。「ウケモチ」の神は、一般に「保食神」と書き、食物神である「大宜都比売神(オオゲツヒメ)」または「宇迦之御魂神(ウカノミタマ)」と同一視される。普通は「稲荷神社」であることが多いが、牛馬の神として「駒形神社」とされることもある。台地上の路傍にあることから、ひょっとしたら元は馬の神だったかもしれない。一帯は中世(14世紀初め頃?)、府馬氏が「府馬城」を築いたところとされるが、本体は西~西北の細長い台地で、「宇賀神社」・「府馬の大クス」のある辺りはその出城(「山ノ下城」とも称する。)であったともいう(「宇賀神社」の裏手の広場は、武士団が勝どきの声を上げる「鬨の台(ときのだい)」ともいったとのこと。)。
※ 当地を訪問したのは平成24年10月で、平成25年10月の台風26年により「府馬の大クス」は東側の幹が倒れる等の大きな被害を受けたとのこと。何とか樹勢回復してほしいと切に願います。
香取市商工観光課のHPから(府馬の大クス)
写真1:「宇賀神社」鳥居
写真2:「府馬の大クス」
写真3:同上。「天然記念物 府馬之大楠」の石碑が建てられている。
写真4:同上
写真5:「宇賀神社」社殿
写真6:「宇賀神社」の背後は公園になっていて、展望台が設置されている。北東側(茨城県鹿嶋市方面)を見る。
場所:千葉県香取市府馬2395(「宇賀神社」境内)。県道28号線(旭小見川線)から、府馬郵便局の南東約300mのところ(「府馬の大クス」の案内板あり)で左折(北へ)、約500m。駐車場有り。途中の道路が狭いので注意。なお、台地の北側の道路沿いに立派な駐車場もある(ただし、「府馬の大クス」までは徒歩で、かなり登る。)。
「府馬の大クス」は、樹高約20m、幹周り約12m、根周り約27.5mというタブノキ(椨)の巨樹で、樹齢は1300年~1500年とされる。昭和63年の環境庁による調査では、全国第3位の大きさという。大正15年に「府馬の大クス」として国の天然記念物に指定されたが、昭和44年の調査でクスノキ(楠)ではなく、タブノキであることが判明した。もっとも、タブノキはクスノキ科に属し、俗に「イヌグス」、「タマグス」とも呼ばれることから、強ち誤りとも言えないだろう。
「府馬の大クス」がある「宇賀神社」は、社伝によれば宝亀4年(773年)に宇気母知神を勧請したのを創始とする。「ウケモチ」の神は、一般に「保食神」と書き、食物神である「大宜都比売神(オオゲツヒメ)」または「宇迦之御魂神(ウカノミタマ)」と同一視される。普通は「稲荷神社」であることが多いが、牛馬の神として「駒形神社」とされることもある。台地上の路傍にあることから、ひょっとしたら元は馬の神だったかもしれない。一帯は中世(14世紀初め頃?)、府馬氏が「府馬城」を築いたところとされるが、本体は西~西北の細長い台地で、「宇賀神社」・「府馬の大クス」のある辺りはその出城(「山ノ下城」とも称する。)であったともいう(「宇賀神社」の裏手の広場は、武士団が勝どきの声を上げる「鬨の台(ときのだい)」ともいったとのこと。)。
※ 当地を訪問したのは平成24年10月で、平成25年10月の台風26年により「府馬の大クス」は東側の幹が倒れる等の大きな被害を受けたとのこと。何とか樹勢回復してほしいと切に願います。
香取市商工観光課のHPから(府馬の大クス)
写真1:「宇賀神社」鳥居
写真2:「府馬の大クス」
写真3:同上。「天然記念物 府馬之大楠」の石碑が建てられている。
写真4:同上
写真5:「宇賀神社」社殿
写真6:「宇賀神社」の背後は公園になっていて、展望台が設置されている。北東側(茨城県鹿嶋市方面)を見る。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます