神が宿るところ

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側鷹神社(茨城県行方市)(常陸国式外社・その14の1)

2022-12-10 23:34:08 | 神社
側鷹神社(そばたかじんじゃ)。通称:明神様。
場所:茨城県行方市小高406。国道355号線と茨城県道184号線(島並鉾田線)の「南坂下」交差点から、県道を北東へ約1.2km。駐車場なし。
社伝によれば、神代、経津主大神が東征の折、当地に高皇産霊尊を祀り、石槌を捧げて戦勝を祈願した。これを創祀とし、石槌剣が神宝となっている。神社としては、大同2年(807年)創立とする。そして、下総国一宮「香取神宮」の摂社であるともされる(因みに、現・千葉県香取市に「香取神宮」の第一の摂社として「側高神社」がある(2014年3月8日記事))。
さて、「常陸国風土記」行方郡の条に、「行方郡家から南に七里のところに、男高(おだか)の里がある。...栗家池の北に「香取の神子の社」(「香取神宮」の分祀の神社)がある。」(現代語訳)という記述がある。「男高」は現・行方市小高が遺称地で、「和名類聚抄」に記載のある古代行方郡小高郷に当たるとみられるが、「常陸国風土記」の男高里にある「香取神子社」というのが当神社であるとする。当神社の南、約5丁(=545m)のところ(現・曹洞宗「皇徳寺」付近か)に「車地池(くるまぢいけ)」という池があって、これが「栗家池」が訛ったものではないかというが、その池は現存していないようである。「新編常陸国誌」(中山信名ほか編、明治32年)では「小高村側高明神 香取の摂社にして、風土記に小高香取神子の社」とし、「香取新誌」(清宮秀堅著、明治12年)も「この側高も香取の神子なり」と考証しているという。古来から小高郷(現・行方市小高、南、井貝、橋門、島並、四鹿)の総鎮守で「小高郷社」と称された。慶長7年(1602年)に佐竹氏が出羽国秋田城に移封された後、新たに新庄氏が麻生藩主となると、当神社と「産土八幡宮」、「大生神社」(2017年12月9日記事)を合わせて領内三社と称し、篤く崇敬したという。明治6年、村社に列した。現在の主祭神は高皇産霊尊で、ほかに経津主命、武甕槌命、倉稲魂命、天照皇大神、猿田彦命、彦火火出見命、伊弉諾尊、菅原道真公の8柱が合祀されている。


茨城県神社庁のHPから(側鷹神社)


写真1:「側鷹神社」鳥居と社号標。境内は県道に沿って細長くなっていて、奥行きがある。


写真2:拝殿。参拝時、ちょうど境内の大きな木の伐採が行われており、邪魔にならないように急いで退散した。このため、写真が少なめ。


写真3:本殿


写真4:石碑(由緒碑と思われる。)
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