眠れない夜の言葉遊び

折句、短歌、言葉遊び、アクロスティック、夢小説

螺旋坂

2013-10-22 22:02:25 | 夢追い
 少し遅れながら後を歩いてくる女が、いつの間にか距離を詰めていた。
「前に会ったことが……」
 すぐ後ろで声がする。螺旋坂を上る途中で、立ち止まり、振り返って彼女の顔を見た。見覚えはない。
「ないよ」
 否定して女が同意するまで待ってみた。女はまだ納得せずに、じっとこちらを見つめている。
「話した?」
「話したことはないけど」
 だったら覚えてなくても当然だ。話したこともないのにどうして話しかけてくるのだろう。
「やっぱり会ってなかったかも」
 女は急に言葉を翻してきた。
「それなら会ったことがあるかも」
 今度は僕の方が寝返った。
「会ってはないみたい」
「いや話したことがないのだから、気づかない内に会っているかもしれない。偶然、駅で、公園で、カフェで、交差点で、道で、会っていて覚えてないだけで、既に会っていたのかもしれないよ。でも、それは会ったって言うのかな? ねえ」
「会ったって言っているのは、今はあなたの方よ」
「そうか。立場が逆転していたのか」
「もう足が痛くなっちゃった」
 坂に上がるにはふさわしくない靴を履いているからだ。片足を持ち上げながら、僕は自慢の靴を見せた。
「父が履いていた靴だよ。でも、ほとんど新品なんだ」
「山にでも登れそうね」
 植物を尋ねて父は山道を歩いた。写真に収めて、ちょっとした言葉を添えて見知らぬ人に向けて発信することもあった。けれども、決して登山家ではない。
「ねえ、今から墓参りに行くんだけど」
 今日はやめておくと彼女は言った。
「会って話すのは今日が初めてだし、お父さんに会うのは少し早いと思うの」

 道端で摘み取った野草を墓の上から撒いた。強い風に煽られてほとんどそれは一瞬で舞い上がって父の根元から逃げていった。野草は野に帰るべし。酒でも持ってくればよかったけれど、予定外にやってきたのでそんな気を回す術もないのだった。丘の上の墓場には僕以外に誰もいない。今は墓参りシーズンではないのだ。絶好の行楽日和に僕はハンカチを買って電車に乗った。その時、本当はキャラメルを買えばよかったのに。眠り続ける父に背を向けて、窓の外を見た。雲を越えてやってきた鴉が、屋上の片隅に降りて日向ぼっこをしていた。

お父さん、元気ですか?
僕はお父さんの心配よりも、自分のことでいっぱいです
これからどこへ向かうべきでしょうか?
何か言ってください。
何でもいいんです。ほんの少しのヒントになれば。
 父は、黙って固まっていた。耳を澄ませば聴こえてくるのは風の音だけだった。けれども、しばらくすると風に交じって高い笛の音が聴こえてくるのだった。

 レフェリーの笛が僕をピッチに呼び寄せた。ゴールが決まると味方たちが集まってバンザイをしたりハイタッチを交わしたりしている。そんなの時間の無駄だよ。早くしようよ。時間がもったいないよ。けれども、自分がゴールを決めた時になってみると、逆にみんなに祝福してほしかった。もう始めるのかよ。もっと祝おうよ。ゆっくりしようよ。もっと余韻に浸ろうよ。時間はたっぷりあるだろうに。ピッチの中に外にあふれるほどいた人々も、徐々に減っていって、気がつくとみんないなくなってしまう。
「ここは昼休みがあるの?」
「自然といなくなっただけだよ」
 とモンちゃんは答える。自然にいなくなるなんて不自然じゃないか、不条理じゃないか。
「そして、夕方になるとまた自然と集まってくるんだ」
 モンちゃんもここを離れる準備を始めていた。
「モンちゃんはどこへ?」
「人のいるところを探して」
 そう言うとモンちゃんは車に乗り込んでハンドルを握った。どうやら僕は一緒ではないようだ。

 モンちゃんの車が走り出すと同時に、僕も助走を取って上空に舞い上がった。地上の街並みがあっという間に組み立て前のプラモデルのように見え始めた。どこへ行こうか、どこへでも行けるぞ。僕は1人……。と思った瞬間、誰かが足にしがみついていることに気がついた。気がつくと急に体が重々しく感じ始めた。男は浮遊する僕の足にしがみつきながら、どこかに電話をかけていた。
「ずっとつきまとわれているんだ。助けてください」
 なに? おまえが勝手につきまとっているんじゃないか。離れろ! 早く離れろ!
「ひーっ! 助けてー」
 勢いをつけて足を振ると、男はたまらず手を放して落下した。

 螺旋坂の途中で、ネクタイが散乱しているのを見つけてその1つを手に取った。青のネクタイ。それはあの男が身につけていたものだった。他にも黒のネクタイ、白のネクタイ、緑のネクタイ、灰色のネクタイ、桃色のネクタイ、茶色のネクタイ、水色のネクタイ、水玉のネクタイなどが落ちていた。
「それ、」
 どこからともなく現れた警官が、僕の手にしたネクタイを見てそれだと指摘した。
「他にもありますよ」
 僕は他のネクタイについても警官に証言しようとした。
「それでいい」
 警官は他の色のネクタイには興味を示さず、一緒に来るように求めた。どうしようもない疑いが、僕にかけられているのを感じた。
「つきまとっていたのか?」
「そうじゃない!」
 根も葉もないことだと僕は言った。けれども、僕はしがみつかれたという事実を話すことができなかった。経緯はどうであれ、全部話してしまうと急に雲行きが怪しくなってしまう。あの空で、間違えてしまったのかもしれない。
「つきまとっていたのか?」
 警官はコピーされた言葉を何度も繰り返した。不条理なループを抜け出す方法はただ1つ、僕が答を変えることだ。
「そうじゃない!」
「つきまとっていたのか?」
 次第に疲れて僕の答は小さくなっていった。そして、ついには黙り込むようになった。黙れば誰にも負けない。父よりも長く、僕は黙ってみせる。

 3日目の夜、男が出頭してきた。
 男は「空飛ぶ男を殺した」と自供した。
 助かった! 僕は殺されたのだ! これで完全に疑いが晴れたぞ。
 
 自由になると僕は目立たないように用心して歩き始めた。
 空を飛ばなくても、十分に自由であることがうれしかった。
「どこへ行こうか?」
 僕は訊ねた。
「どこへでも行けるぞ!」
 僕は答えた。

コメント
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