どうして薄緑のカーテンは、今日も半分下がっているのだろうか。コーヒーを口にした瞬間から、疑問が湧いてくる。コーヒーの中に含まれる成分が、考えさせるのだろう。
陽射しが強い時間に誰かがカーテンを引いて、そのままになっているのか。極端にプライバシーに配慮した結果なのか。それとも逃亡者が逃げ込んで、自らカーテンを下げたのか。理由は何もないということはないか。理由はなく、誰もそれを指摘もしない。
カーテンが及ばない下の隙間から、僕は外の世界をぼんやりと眺めていた。大人か子供か。先生か薬剤師か。業者か一般人か。自転車かバイクか。旅人か仕事人か。猫かプラスティックバックか。落ち葉か蝶か。
半分になった世界は不確かでいて、想像を刺激する。全部見せないことによって、こちらに投げかけているようだ。シマウマか横断歩道か……。
夕べはぼんやりしながら横断歩道を渡っていた。気がつくとすぐ前を車がカーブして通過して行った。はっとした。ほとんどかすめるように左から曲がって行った。
(止まるのでは?)
確かルールではそうなっていたはず。ぎりぎり間に合ってはいけないのではないか。こうやって、ある日突然消されてしまうのだと思った。取るに足りないもののようにされた。存在感がなかっただろうか。僕は幽霊のように歩いていただろうか。
小学生の頃、突然、死について考え始めた。死ぬってどういうことなんだ。消えるのか。どこに行くのか。完全になくなるのか。無になるのか。自分が存在しない世界。それは何て恐ろしいのだ。何て寂しいのだ。考えられないほどに恐ろしくて、考えるほど恐くて、どうしようもなくなって、考えることから逃げ出したのだ。木ですか、キリンですか?
正解はわからない。
考える内に夜がやってきた。
カーテンを下ろすに相応しい時間だ。