眠れない夜の言葉遊び

折句、短歌、言葉遊び、アクロスティック、夢小説

忘れ物描き

2019-08-21 03:22:58 | 夏休みのあくび(夢追い特別編)

 グランドオープンした百貨店の中に僕はいた。この階は、昔、父と来た記憶があった。受付の向こうは、ゲームコーナーだ。十四階が書店、八階はホテル。記憶の一部が蘇ると後について様々な風景が広がって行った。興奮しながら、まだ広がりつつある記憶と共にエレベーターの中に飛び込んだ。ボタンを押しても十四階は光らなかった。上へ下へ、エレベーターは脈絡もなく動き回り、人の流れがとめどなく行き来した。その間、誰も十四階を押さない。人々の指の隙間から、もう一度、ボタンを押す。十四階は光らなかった。上昇する途中で、どこからか快音が響いた。

「屋上はプロ野球よ」

 小さな子供を連れた、女が言った。みんなが降りて行った後で、もう僕は十四階を押さなかった。八階も、二十五階も、三十七階も押さなかった。元に戻るボタンを押して、もう帰ろうと思った。

 百貨店の外では、赤い帽子を被った女の子が、道行く人にチラシを配っていた。真新しい百貨店の外壁が、いつまでも続く。僕は少し離れて、車道の方に近づいて歩き始めた。渡す相手を求めて、帽子の女が近づいて来る。行く手を完全に遮るように胸の前に突き出される四角い紙。拒むことは許されない。

(プロ野球開幕戦)

 今日がそうだった。今、出て来たところじゃないか。世の中の流れに逆行している……。奇妙な疎外感が、胸を満たした。外壁は延々と続き、いつまで歩いても家にたどり着くことはできなかった。

 

 

 

 鬼の目からはとめどもなく詩心が漏れ続け、どうにかフェイスタオルでくい止めていた。創作物があふれて部屋の中にまで入って来ては大変。方法としては泥臭いが、ここにはバケツもちりとりもないのだし、(掃除道具としてあるのはほうきだ。しかし柄の折れた役立たず)それを理由に傍観者になるわけにはいかないのだから。いっぱい染み込ませたフェイスタオルを、ベランダからぎゅっと絞ると物語の端くれが下の方に落ちて行くが、それはそれ、後のことは知ったことではない。

「ご苦労だったな」

 見上げた空には具の少ないカレーが労いに用意されていた。栄養価なんて期待できない野菜はそれぞれ空に浮かび、星座のように存在を主張して散っている。欲望のためにそれらに手をつけることは、とても卑しいことのように思え、罪の一種に当たるようにも思われた。余りに必然的に位置を占めすぎている。個人的な欲望を満たす以上に、もっと大きな世界に向けての色素を放っているように思われた。目的の定まらない手の中に落ち着かず、スプーンは宙に浮いていた。

「勿論、食べていいのです」

 食べてもらえるとうれしいとシェフは微笑んだ。

「一つ一つ、空を消してください」

「いいんでしょうか。何か踏みにじるような」

「いいえ。消えてから、完成するのです」

「なくなってしまうのに?」

「なくなって完成するのです」

「跡形もなく、なくなってしまうのに」

「あなたが証人になってくれる」

「どうやって?」

「なってくれるのでしょう?」

 

 

 

 忘れ物をした人はみんな集められて、罰として忘れた物をすべてスケッチブックに描かなければならなかった。僕は木の枝の描き方がわからなかった。四足動物の脚の描き方がわからなかった。キリンの首から頭にかけての様子がわからなかった。山の緑と海の青さ、太陽の色がわからなかった。色鉛筆をもてあそびながら、みんなが器用に忘れ物を描き終わるのを見つめていた。みんなが楽しそうに罰を終え、家に帰って行く。バイバイ、また明日。先生の視線が僕に集中してしまう。期待はとっくに萎み、いっぱいのあきらめモード。先生の心配事は忘れ物を置いて、我が家の中のあれやこれや。ああ。すっかり空しくなった。空しさが色鉛筆を立ち上げ、どこか遠い場所から、絵はやって来た。自分の中にないものが、色をつけて生まれて来る。僕はうそつきだ。

「月とうさぎを忘れたのね」

 先生は、僕の絵を認めてくれて、ようやく僕を許してくれた。

 坂道を上って、どんどん橋の方に歩いて行った。迷いがないように見えたのかもしれない。前にも来たのと彼女は訊いた。

「一人で来たの?」

 一人ではなかった。けれども、それが何だというのか。今、一緒に歩いている人とは、出会ってもいなかったのだから、一緒に来ることもできなかったのだから。橋にたどり着く頃には、彼女はもう不機嫌を通り越していた。

「もういい」一言だけ言って、彼女は消えた。

 一人で歩く道は、道が急に伸びたように長く感じられ、足が重くなって行った。

 小さく切られた竹を均一ショップの中で求めた。商品を選んでいると誰かに見られているような気配を感じた。

「一つ、二つ、三つ……」

 籠の中から取り出しながら、店員は数えた。

「もう一つ小さな……」

 キーホルダーはどこにやったと店員は訊ねた。確かに手に取るところを見ていたと店員は言う。何かの間違いに違いなかった。

「カードはお作りになりますか?」

 カードにはスタンダードカードとプレミアムカードの二種類があって……。少しの関心を寄せていると次の客がやって来て、説明はうやむやになってしまった。腹が立ったので手当たり次第に籠の中にお菓子を投げ入れ、再びレジに向かった。店員は面倒くさそうに菓子をスキャンしては袋に詰めた。その内、袋はパンパンに膨れ上がった。

「落ちてるじゃないか!」

 お菓子は袋からあふれ、床に転がっている。店員はそれを足でもみ消そうとしていた。

「クレーマーだ!」

 店員の叫びを聞いて、店の隅々から仲間がそれぞれほうきや、何か武器になるような物を手にして、駆けて来た。僕は買い物をあきらめ、逃げるように店を出た。

 すぐに飛行を開始するとすぐに迷子になった。高いところから町を見下ろしても、向かうべき方向がまるでわからなかった。不安の内に飛んで行くと、どんどん寂しくなっていき、人里離れたところに行ってしまう。旋回して、光を求めて飛んだ。ビルが光を持っていた。高い高いビルが、静かに光を蓄えながら、密集して建っていた。更に高いビルもある。同じようで違うビル。さっき越えて来たような、またそれとは違うビル。NTTビル。この場所は覚えておこう。周りを見回して、一つの基準を作った。けれども、それもすぐに空しくなる。どこまで行っても、見覚えのあるものが見当たらないのだった。知らず知らずに、ビルの冷たさが、体力を奪っていた。上昇力がなくなってゆく。もう無理だ……。ビルの下で、眠ろうか。朝まで。そう考えて、朝になることが不安で、朝を待てないことが不安で、疲れた翼を奮い立たせた。ビル、ビル、ビルビル……。ビルが連帯して、光の粒で翼を傷つける。もうとっくに、無理なんだ……。眠ろうか。朝まで。そう考えて、どのような朝になるか不安で、朝を迎えられないことが不安で、萎れた翼を奮い立たせた。自分の意思ではなく、風が、知らない町へと僕を運んだ。

 

 二階はどうなっているのだろう? 誰もいない。更に奥へと行ってみた。

 ドアを開ける。何もない部屋。全体は白い硝子に覆われていて、外からの光を微かに取り込んでいた。もう、夜のようだった。どこか懐かしく、どこか宇宙船の中のようだった。ここに住みたい……。

 一階に戻るとスーツの男が一人やって来て、コーヒーを注文した。仕事の続きをしたいので、プラグを使いたいと店員に言った。机をくっつけてもいいかと更にお願いした。続いて女が一人入って来ると迷わず入り口に近い席に座った。じっと固まって何もせず動かない。眠っている。働く者と眠る者、いつか宇宙船の中で暮らしたい者、三者の間に接点はまるでなく、僕は何か大事なものを思い出さなければいけないような気がしていた。それはいったい何だったのか、どこでそれを忘れてしまったのか……。

 気がつくと辺りは真っ暗だった。お金は?(僕は払ったのか?)

 はっとしてドアを開けると自分の靴が置いてある。急いで靴を履いた。すぐ隣の家から明かりが漏れている。そこは台所かもしれなかった。小雨が降っていた。入る? 僕は迷った。開けて入るべきか、やめておくか。知らない家のドアに触れることが、泥棒の形になってしまうようで、どことなく恐ろしかった。少し歩き出す。どこ? 少し行っても、まるでどこかわからなかった。草は濡れ、その先は小さなトンネルになっていた。現実なの? 色々な疑いが芽生え始めていた。

(ジャンプ!)

 確かめるために高く跳んでみた。最初の跳躍で、岩に触れることができた。ふわり、ふわり。いつまでも、長く、浮くことができた。違うんだな……。それで確信を持つことができた。すぐに引き返した。元の場所に戻って、光の漏れるドアを思い切って開けた。

 ベッドの上では、布団を被った母が眠っていた。お腹の辺りにイモリを二匹乗せていた。僕はイモリを手で払いのけた。

(やっぱりな)

 母を残してドアを閉めた。

 濡れた草を踏んで、トンネルの方に戻った。その先には、微かな光が漏れている。どこまで行こうと、どこにも行くまいと、時が過ぎれば、それで終わりになるのだ。わかっていながら、歩き続けた。

「本当は、何も忘れていなかったのね」

 遠いところから、先生の声が聞こえた。

(わかっているよ)

 進もうと、進むまいと、もうすぐ終わるのだから。急ぐ必要もないと思いながら、僕は歩き続けた。

「だから、何も描くことはなかったのね」

 トンネルを抜けると猫が待っていた。胸におぼろげな月を抱いて。

 


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