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自然はどこまでも美しい。
人の手が加わってなおも美しくなるようであり、飽きることはない。ずっと見ていられるということは、そこに幸福が備わっているということだ。ならば、それ以上に求めるものは何もない。主体的に何かを生み出すこともなく、偉大な人たちの作ったもう一つの現実の中に自分の魂を投じてしまえばいい。その時、私は私でなくてもいい。(そもそも私などちっぽけな存在にすぎないのだった)物語の中に凝縮された現実は、私の人生の何倍も重く感じられる。どれほど残酷な瞬間が訪れたとしても、私自身はかすり傷さえ負うこともない。ただ美しいところだけをみて酔えばいい。それはなんて素晴らしいことだ!(私は物語の力によってのみ生かされていたようだ)
とは言えもう100年。
きりがないね!
混乱に歯止めがかからず、みんなすっかり取り乱している。家系図はぐちゃぐちゃになり、裏切りが裏切りを呼び、もう誰を信じていいのかわからない。主人公は目的意識をとっくに忘れ毎日のように酒にばかり浸っている。100年すぎてまとまる気配はどこにもない。(河はどこまでも広がり続ける)まるでそう言っているようだ。
もう、きりがないね!
「自分を生きたい」
私は突然、自我に目覚めた。
自分のペースで我が道をいきはじめると不思議なほど戻りたくなくなっていた。(あの大河はいったい何だったのだろう)
人生2000年時代。
ここはまだ序の口にすぎない。
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