情報は突然私を呑み込んで、虚無へと突き落とそうとするようだ。私は不安の中を歩いている。「手を読む」ということは、ただ直線的に先を読むということではない。種々の可能性について枝を広げながら、時に疑い深く、内なる声に耳を傾け、道を歩いて行くことだ。
どれだけ行っても、見えているのは私の周りのほんの一部のような気がする。いくら読んでも、私は私自身を見ることができない。対局というルールの中では、私は外の世界から遮断されている。
頭の上には鳩がとまっているかもしれない。毛先をいたずらに引っ張りながら妖精が踊っているかもしれない。探偵が背後からマークしているかもしれない。後ろにゾンビの行列ができているかもしれない。肩に銀杏の葉がずっと載っているかもしれない。背中にオワコンと書いた貼り紙がくっついているかもしれない。窓の向こうは雨かもしれない。不安を駆けるIF。
IF、IF、IF、IF、IF、IF、IF、IF、IF、IF……
(IFの向こうに何を見つけられる?)
仮定の話から逃げていては、未来を読むことはできない。
色々と読みを掘り下げていると少し疲れてしまった。
もしも椅子だったなら……。
直線的に集中して読む時には前傾姿勢。
今のような時には、背中を後ろに預けてしまえるのだが。天を仰ぎ、大局を俯瞰し、目を瞑り、頭の中に絵を描くことができる。
私はまだ正座を崩さなかった。
正座のまま不安の中に独り浮いていた。
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