ヨボ爺の与太話

街の見て歩きを投稿したのは昔の話、
今はヨボ爺が日常の与太話をたまに投稿する、
子供の絵日記の様なブログです。

ヨコハマ・パノラマウォーク-写真家と歩く横浜- 1-1

2014-10-18 16:54:08 | ガイド街歩き

10月18日(土)

今日は世田谷美術館主催のガイドツアー、

萬KENBUN録・根岸線開業50周年記念 ヨコハマ・パノラマウォ―写真家と歩く横浜―

横浜といえばみなとみらいや山下公園、中華街、あるいは伊勢佐木町を思い出しますが、中心市街地の南東部、元町から根岸あたりまでの台地は意外と知られていません。この台地はブラフ(崖)と言われており、幕末に横浜周辺を測量に訪れたペリーによって命名されました。今回は元町から山手に向かってブラフに登り、根岸で一気に崖を降り懐かしき街並みを鑑賞する台地回りコースと、海苔の養殖と「ベイサイド・コート」の二つの顔をもっていた本牧から港の見える丘公園を経て、新山下運河先の港湾地域までの海回りコースを歩きます。まさに景色はパノラマの連続。知られざるヨコハマがそこにあります。

『横浜ブラフ/たそがれ市場』~台地回り
元町~山手公園~中華義荘~根岸森林公園~浜マーケット~根岸                      
案内人は: 中川道夫氏(写真家)高橋直裕氏(世田谷美術館)

に参加して来ました。

集合場所はMM線元町・中華街駅、広い場所に移動し、

 

資料と注意事項を受け出発、参加者は50名。

 

駅前に戻り脇の代官坂を登り、名主石川家の代官屋敷を眺め

 

この辺りは数年前に横浜シティガイド協会昭和30年代横浜ノスタルジ映画”コクリコ坂から”

に登場した場所を巡るで訪れました、昭和を思わせる店舗があります。

  

1946(S21)年山手舞踏場」として創業し

数々の有名Jazz奏者・ミュージシャンがステージから巣立って行ったクリスサイト

 今も古き良き横浜の香りをそのままに愛され続けています。

フェリス女子学院大学の脇を下り、国の文化財名勝 近代化産業遺産の

山手公園 中区山手町

  

1870年M3)年に、横浜居留外国人の手によってつくられたわが国最初の洋式公園

でテニス発祥の碑もあり、

  

レストハウスとして使われている建物は関東大震災後の1934(S9)年に、

外国人住宅として建てられた旧山手68番館

奇珍 (正式な屋号は奇珍樓) 中区麦田町2丁目44

1918(T7)年創業の老舗で横浜では最も古い(伊勢佐木町の玉泉亭本店も同年の創業)

町の「ラーメン屋さん」です、また2年前に亡くなった「また逢う日まで」などで知られる

歌手尾崎紀世彦ここのネギソバが好物で良く来ていたそうです。

ヨーロッパの田園住宅岩田邸 中区柏葉 1912(T1)年建築 木造平屋 横浜市認定歴史的建造物

<続く>

コメント (2)
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