11月25日(土)
先週の続き世田谷美術館主催のガイドツアー
萬KENBUN録・根岸線開業50周年記念 ヨコハマ・パノラマウォ―写真家と歩く横浜―
横浜といえばみなとみらいや山下公園、中華街、あるいは伊勢佐木町を思い出しますが、中心市街地の南東部、元町から根岸あたりまでの台地は意外と知られていません。この台地はブラフ(崖)と言われており、幕末に横浜周辺を測量に訪れたペリーによって命名されました。今回は元町から山手に向かってブラフに登り、根岸で一気に崖を降り懐かしき街並みを鑑賞する台地回りコースと、海苔の養殖と「ベイサイド・コート」の二つの顔をもっていた本牧から港の見える丘公園を経て、新山下運河先の港湾地域までの海回りコースを歩きます。まさに景色はパノラマの連続。知られざるヨコハマがそこにあります。
② 『夜霧よ今夜も有難う』~海回り
八聖殿~本牧裏通り~ワシン坂~港の見える丘公園~横浜新港倉庫
元町~山手公園~中華義荘~根岸森林公園~浜マーケット~根岸 案内人は: 中川道夫氏(写真家)高橋直裕氏(世田谷美術館)
に参加して来ました。
先週の解散場所に集合、バスで移動し本牧市民公園へ
ペルーが本牧沖に来た際、数Km続くこの断崖に夕日が当たりオレンジ色に輝いていたので
マンダリンブラフ(オレンジ色の崖)と呼んだそうです。
公園奥の階段を登ると横浜市八聖殿郷土資料館(中区本牧元町76-1)に到着、
八聖殿は熊本県出身の政治家で逓信・内務大臣を歴任した安達謙蔵(1864~1948)が法隆寺夢殿を模して精神修養の場として1933(S8)年に建立した三層楼八角形の建物です。
八聖殿を出て坂の途中を曲がり、下りきった所に
設計:ジャン・J・スワガー 施工:関工務店 竣工:1937(S12)年
構造:木造2階建一部鉄筋コンクリート
この辺りは海に近く海苔の養殖をやっていたので海苔街道と呼ばれていたそうで
今でも海苔屋さんが数軒残っているそうです。
米軍からの接収解除後この周辺は一大マンション群になっています、
旧横浜山手250番館(スタンダード石油会社社宅) 中区本牧原5-5-4
設計:アントニン・レーモンド 施工:不詳 竣工:1929(S4)年(1985(S60)年移築) 構造:鉄筋コンクリート造2階建て (旧所在地は中区山手町250番地)
現在はマンションのクラブハウスとして使われています。
野次馬ジジイは米軍キャンプや市電が走っていた1960(S30後半)年代に
隣町小港に住んでいましたから懐かしいのですが、様変わりし過ぎです。
昔この辺りはチャブ屋と呼ばれていた街でもあります。
1860年代(江戸末期)から1930年代(昭和初期)に外国人や外国船の船乗り相手の売春婦を置く小料理屋街。
語源には諸説あり英語のCHOP HOUSE(チョップ・ハウス 簡単な手料理屋・簡易食堂)が訛ったものという説が有力だそうです。
1960年代のグループサウンズブームのハマを代表する「長い髪の少女」でしられるGSバンドのサ゛・ゴールデン・カップスも本牧から羽ばたいて行きました。
<続く>