10月28日(火) <10月25日(土)の続き>
世田谷美術館主催のガイドツアー
萬KENBUN録・根岸線開業50周年記念 ヨコハマ・パノラマウォ―写真家と歩く横浜―
横浜といえばみなとみらいや山下公園、中華街、あるいは伊勢佐木町を思い出しますが、中心市街地の南東部、元町から根岸あたりまでの台地は意外と知られていません。この台地はブラフ(崖)と言われており、幕末に横浜周辺を測量に訪れたペリーによって命名されました。今回は元町から山手に向かってブラフに登り、根岸で一気に崖を降り懐かしき街並みを鑑賞する台地回りコースと、海苔の養殖と「ベイサイド・コート」の二つの顔をもっていた本牧から港の見える丘公園を経て、新山下運河先の港湾地域までの海回りコースを歩きます。まさに景色はパノラマの連続。知られざるヨコハマがそこにあります。
② 『夜霧よ今夜も有難う』~海回り
八聖殿~本牧裏通り~ワシン坂~港の見える丘公園~横浜新港倉庫
元町~山手公園~中華義荘~根岸森林公園~浜マーケット~根岸 案内人は: 中川道夫氏(写真家)高橋直裕氏(世田谷美術館)
米軍からの接収解除になる前は車の修理工場も多く、こんな車を良く見かけました。
ワシン坂昇り口の小港松村カメラサービス(中区北方町2-95)
案内人の中川道夫氏(写真家)が気になっているカメラの修理屋さん、
何時通っても店に人の姿を見かけないそうで、今日もいません。
カメラ屋の少し先にはワシン坂の湧水があります、
ワシン坂 (山手町~小湊町一丁目/延長250m)
ワシンの語源に諸説があり①和親条約のワシンからきた②鷲見坂がなまった③ワシン(ウシン)という外人がこの付近に居住していた④坂下に清水が湧き出るところから「ワキシミズサカ」が外国人達に聞こえた、 いずれにしろ慶応2年に山手居留地に指定されているのでこの頃からの呼称と考えられている。
登りきると横浜港が一望できます。
港の見える丘公園にあるイギリス館(旧英国総領事公邸) 中区山手町115-3
築:1937(S12)年 設計:大英工部総署 RC造2階建、地下1階
下に降りて見上げると昔を思わせる崖が残っています、
ペルーが来た頃はこの近くまで海だったのでしょう。
横浜市設貯木場発祥の地記念碑 横浜木のみなと(中区新山下3丁目)は
1975(S50)年頃移転し現在は
石原裕次郎も通ったというYCC(横浜クルージングクラブ)になっています。
経営は岡本造船所 石原裕次郎の「コンテッサⅢ」号は此処で建造されたそうです。
絵に描きたいヨットハーバーの景色です。
ハーバーの前で解散です、
昔の面影は余りありませんでしたが、懐かしい街を歩いた半日は18.000歩でした。