「家」 @ 鎌倉七里ガ浜 + 時々八ヶ岳

湘南七里ガ浜(七里ヶ浜とも)から発信。自分の生活をダラダラと書きとめるブログ。食べ物、飲み物、犬の話題が多い。

鎌倉殿の13人的観光 / 西御門 - 大蔵幕府跡 - 東御門 - 頼朝の墓 - 義時の墓 - 鎌倉宮 / ただただ暑い

2022-07-30 12:38:45 | あちこち見て歩く
我が家の庭のシマトネリコも焦げそう。


家の前の道路をちょっと行くとご近所さんの植木の陰があるが、その陰と陽の当たった地面のコントラストがすごい。


どこもかしこも暑過ぎる。

ちょっと歩いただけで汗だくだ。なのになぜ外出する?と自問する。

江ノ電稲村ヶ崎駅方面へ進む。


鎌倉市の「紙ごみの分別」はややこしい。1.段ボールは段ボールだけを縛って出す。2.新聞紙や雑誌もまた、それだけを縛って出す。3.それ以外の紙のゴミのうち、薄っぺらいのは紙の袋に入れて袋を紐でしばるかホッチキスあるいはガムテープ等で止めて、中が見えない状態で出す(↓の画像の上の方の丸で囲ったもの)。4.厚紙は紙の袋に入れて紐でしばるが、中が見える状態で出す(↓の画像の下の方の丸で囲ったもの)。


なんてややこしいんでしょう。最近包装の簡易化傾向が強いので、紙の袋が自宅にあまりない。「紙の袋に入れて出せ」と言われても困る。他の捨て方を認めてくれないだろうか。

なんてブツブツ言いながらいつもの道を行く。


どう撮っても絵にならない稲村ヶ崎駅で、鎌倉駅行きに乗る。


鎌倉駅に到着。


小町通りを北上する。まるで観光客のように。


小町通り沿いにある小さな金融機関の店舗、さがみ農業協同組合鎌倉支店。


相当古いタイプの店構えだ。

今となっては貴重なくらい。

安い干物店山安。


さあ、このあたりから鎌倉らしくなってきた。

盛り上がりましょう、鎌倉殿の13人のメインテーマで♪ 

こちら(↓)をクリックして聴いて下さいね♪

 

小栗旬がカッコいいぞ。

今日はベタな鎌倉観光だ。カマクラ・カマクラ・カマクラ尽くし。

三の鳥居をくぐった。


鶴岡八幡宮に入ったのである(だから何だ?)。


脇には源平池。蓮がいっぱい。


池いっぱいに蓮が広がっていて壮観だった。

暑い季節の花。


八幡宮の境内に人が見えない瞬間。そんなこともある。


だって暑いもんなぁ。

平日だしね。

お店も、一筆書のお店がただひとつだけ。寂しい。


今日は先を急ぐので、本殿には上がらない。


八幡宮の東の脇から外へ出る。

目の前が、畠山重忠の邸址だ。


あまりにお腹が減り、あまりに喉が渇いたな。

そこでローソンに飛び込んだ。



空腹の程度がひどく、周囲に座るところもなかったので、ローソンの店舗の前で和風ツナマヨネーズを立ち食い。すごいね、私。

麦茶も購入した。同じく立ったままゴクゴク飲む。

体から水分が抜け出たような状態になっていたから、麦茶が恐ろしくおいしい。

名門校の脇を通る。中を覗こうとするへんなオッサンを拒むように、高い石垣があり、その上にさらに高い手すりがある。


横浜国大附属だ。



夏休み中だからシーーン。

さらに先へ行こう。

いかにも鎌倉の住宅地って場所に出たよ。


ここまでの住所は雪ノ下。


ちょっと先は西御門。「にしみかど」だよ。「にしごもん」じゃないからね。


白状すると、大昔私はこれを「にしごもん」と呼んでいた。因みに扇ガ谷(おおぎがやつ)のことを「おおぎがだに」と呼んで笑われたこともあった。1980年代の話だ。だって直前まで関西人だったんだもん。

大蔵(大倉とも)幕府の西の端にあたる西御門。



政治を執り行う大蔵幕府がかつてここにあり、その敷地の西のはずれに門があった。

それがここ、西御門である。その位置を示す石碑があるのは西御門と東御門だ(本当に位置がそこで正しいのかどうかはよくわからない)、「また住所表示として今も使われているのは西御門だけである。鎌倉市西御門がそれだ。


大蔵(大倉)という住所表示は今はない。鎌倉市大蔵という地域は存在しないのである。

しかし場所としては今も知られ、自治会名としては残っている。


案内図をよぉ~く見てみましょう。


ちょっと南に行くと大蔵幕府址を示す石碑がある。


この石碑の後ろが清泉小学校だ。これもまた名門校だ。


この学校の敷地はほとんどがかつて大蔵幕府の敷地だったはず。

大蔵幕府の東の端にあった東御門の址を示す石碑がこちら。


先述のとおり東御門という地名は現在ないわけだが、こうして駐車場の名前等になって、人々はその場所を意識している。


端っこを東御門川なんてのも流れていますよ。


小さいけどね。やがて滑川に注ぐ。そしてそれはやがて太平洋に注ぐ。



ここが大蔵幕府の東端なのでした。

このあたりは大きな屋敷が多い。

誰も住まなくなった大きな敷地。鎌倉時代からどれだけの人がここに住み、どれだけの人がこの道を歩いたんだろうねえ。なにせ現代で言うと中央官庁街みたいな場所だ。


両側から樹々が迫る細い道。


鎌倉市の市章。


この道が終わる。でもその先には階段がある。


左脇には白旗神社。


この神社の先にあるのが頼朝の墓だ。


この階段を上がったところにある。


巨大な楠の下にある意外と小さい墓。


この日は平日で暑過ぎて、参拝者も少ない。

これが作られたのは江戸時代だ。


もともとはここに頼朝を祀った法華堂があったのだ。

その跡地に後世になって墓が建てられたのである。

鬱蒼とした常緑広葉樹の森の中。


解説はこちらをどうぞ。


暑いのなんの。。。

頼朝のお墓で、麦茶をがぶ飲み。


いくら飲んでも尿意を催さない日だ。

それだけ体から水分が抜けて行ってるんだろね。

頼朝の墓を出て、ちょっと東へ移動する。

するとまた階段がある。暑いのに階段だらけの日だね。


上り切ったら平らな土地が現れる。


こちらは義時(北条)の法華堂跡だ。


小栗旬だねぇ。

跡ってくらいだから、法華堂は今はない。

しかしそれがどんなものだったかを実感できるアプリがある。

まず下のQRコードをスマホで読み取りましょう。


出て来たアプリをスマホにインストール。


そしてスマホを法華堂が建っていた場所にかざす。

見えた。


見えたつもり(笑)。

本当は何もないんだけど。

スマホをおろすとね、ほら、何もない。


またスマホをかざしてみる。


小栗旬がこっち見て笑ってる!・・・なんて仕掛けはない。

スマホをおろす。


くどい?

でももう一度。

こんな風に立派な法華堂が建っていたのね。


いろんな仕掛けで楽しませてくれるね。


細部までいろいろと見れるんですよ。

ほら、こんなのも。


本当は何もないんだけど(笑)。

上がスマホ画像(↑)、下が実際の地面(↓)。


さらにこの上に階段がある。


これは以下の3人の墓だ。


今回は省略。

では義時さん、さようなら。


大河ドラマ、引き続きがんばってください。

さらに東へ。細い道を抜ける。


岐れ路の交差点から鎌倉宮へ向かうまっすぐな道にやがて出ることになる。そこはかつて両側とも相当なお屋敷がズラッと並んでみごとな眺めだったが、今は区画の細分化が顕著に進行中だ。なんとかならないだろうか。。。区画を好きに分割できるのって先進国では珍しいように思うのだが。。。人口がどんどん増えて仕方ない国や町ならそれもわからないわけじゃないが、明らかに現状はそうではない。逆に鎌倉市でも空き家は増えているが、その横で土地は切り刻まれ景観は劣化して全体として戸数ばかり増える。そんな必要があるだろうか。私はそうは思わない。数十年後は空き家だらけになりそうだ。景観上も防犯上もこのままではまずいと思う。そして一旦細分化されると元には戻らない。そんな状態で鎌倉は世界遺産登録を試みたという。無理だろう、そりゃ。日本中そんな感じだが、なぜそれを止めないんだろう。

ブツブツ言いながら鎌倉宮へ。


かなり暑い。

麦茶をがぶ飲みだ。これほど麦茶がおいしいだなんて・・・。


武家政治の鎌倉にあって、天皇寄りの珍しいスポット。

護良親王を祀る鎌倉宮。



鎌倉宮は明治天皇の時代に造られた。

護良親王が幽閉されていた土牢が鎌倉宮にある。

今回はそこまで行かなかった。以前撮った画像がある。

******ここから下の5枚は数年前の画像******

こちらがその土牢だ。


見ているだけでゾクゾクするね。

残酷な時代だ。

鎌倉宮からすこし離れたところに護良親王のお墓もあるが、今回はそれも行ってない。

こちらがそれだ。


ここは宮内庁により管理されている。

鎌倉に心霊スポットはいくつかあるが、これもその一つだ。

鬱蒼とした森に急な階段がついていて、どんどん上に上がって行く。


若くして非業の死を遂げた親王。

その親王をじわぁ~っと感じることができる場所。



菊のご紋が見える。


******ここまでが過去の画像******

さて、鎌倉宮に戻りましょう。

あら、結婚式の真っ最中。



おめでとうございます。

菊のご紋の提灯。おめでたいですねぇ。



新郎、新婦、ともに暑そうだけど。

特に新婦さん、分厚いの着ておられるもんなぁ。

今日は暑いんだもの。

鎌倉宮には長い間鹿がいた。


今はもういないけれどね。

休憩所に鹿のはく製があるのはそういう経緯があってのことだ。



本殿から振り返るとこんな眺め(↓)。


この空(↓)の画像をご覧ください。


気温が高いことがなんとなく想像できますでしょうか。

鎌倉宮の端っこから二階堂の住宅地へと続く道を見る。


2005年、まだ七里ガ浜東に住むことが決まる前、不動産屋さんに案内されて何度もこのあたりにやって来た。

いくつも土地を見せてもらった。多くの物件は私が気に入らず、私が気に入った物件は途中で話が立ち消えになった。

鎌倉宮は鳥居を抜けて境内にクルマが結構入って来る。そこで停車して自由にお参りしている人も多い。とてもオープンで寛大な鎌倉宮。


近くに名門テニスクラブがあって、ラケットを持った人も多い。


私は巨大な楠の陰で休む。


さあ、そろそろ帰りましょうか。

荏柄神社の前を素通り。勉学の神様だよ。私は勉学しないし(笑)。


清泉女学院の通用門のひとつ。


どういう発想のデザインだろう。とても良いね。

歩いて歩いて、段葛へ。


今回はなんともベタな鎌倉案内でした。

たまにはいいでしょう?

JR鎌倉駅に到着。


江ノ電鎌倉駅ホーム。ここで藤沢駅行きに乗って帰る。


よく歩きました。

汗だくで七里ガ浜住宅地に帰還。麦茶を1リットル以上飲んだよ。

パシフィックベーカリーに寄りましょう。


明日の朝食べるバゲット(小さいサイズ)を購入。



いい香りだ。

100枚近くの画像があったはずの今回の投稿。

ご覧いただき、ありがとうございました。
コメント (22)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする