これまで「こんなキツイ練習なんかできるか!」という選手を見てきたことがある。陸上関係以外ですが(陸上でもありますが、それ以外の選手が多かった)、そうやって言いながら結局はやるんですよ。それも中途半端な強度で。もちろん、指導者に怒られるから渋々やるというのもあるでしょう。でもね、そんな中途半端にやるんだったら意味はないんじゃないのかな?それならやらない方が良い。文句を言いながら中途半端にやるのならほとんど効果はないでしょう。その上、練習が終わった後に「こんなキツイ練習はできない」と発言する。いやいや、本来の目的とするキツさから逃げていて、今更、「できるか」という発言はおかしいでしょ?
このことは昨日のblogに書いた「ルールを守っていない」のにも関わらず、他者がルールを破った時に厳しく追及するのと根底は一緒ではないかな?自分自身は「課題」をやり遂げていないのに、その「課題」に対して不平不満を言う。kanekoは文句を言うのなら「完全にやり遂げてから」言わなければ意味がない気がします。全てをやり終えてそれでも「意味がない」と思うなら「こんな練習できるか!!」という発言をしても説得力がある。しかし、やってもいないのに「こんな練習意味がない」とか「できるか」と言うのは説得力がありません。最大限の努力をして、その時点で何を思うのかが大事だと思います。これはkanekoが生徒に「社会人として身につけて欲しい考え方」です。練習だけでなく絶対に生きていく上で役に立つと思っています。
やる前から「意味がある」「意味がない」を決めつけても仕方ない。本当に「意味がある」「意味がない」は全てをやってから判断すればいい。「意味がない」と思えばやらなければいい。「意味がある」と思えばやればいい。部活動も同じじゃないかな?その部活に所属することで自分にとって「学ぶべきもの」や「意味」があれば所属すればいいし、「意味がない」「なぜやっているのか分からない」のであれば、自分の中で「意味がある」と思うことをすればいいでしょう。アルバイトに金銭面以外の「意味」を感じるのであればそれも大事だと思う。高校生活の中で「服が欲しい」とか「ブランドものが欲しい」とかいう理由でアルバイトをしても「意味」はないと感じています。
「まだ走るのか・・・」と嫌気がさして、ダラダラ走るなら走らない方がいい。走るならその効果を最大限に引き出すために走った方が何倍も「意味」がある。身体にエネルギーが無くても「まだ走るのか。kanekoめ・・・。」という「心」のエネルギーがあるならそれを「走る」エネルギーに変えればいい。人間っていつも「正」のエネルギーばかりではないと思うんですよ。時には「負」のエネルギーだってある。そのエネルギーをどこに使うかで違ってくる。他者に対する「負」のエネルギーがあったとしてもそれを自分のために「正」のエネルギーに変えればいい。それが次第に最初から「正」のエネルギーに変わるようになる。
世の中、きれい事だけでは済まない。何かをしたら全て「正」のエネルギーが発生するなんてことは「理想」であり「夢物語」です。「負」のエネルギーが発生することだってある。それをどのように「正」のエネルギーに変換していくか?そのへんが大事なんじゃないかな?その感覚を身につけることで、将来きっと役立つと思う。
これもkanekoの個人的な考え方です。うちの選手が「こんな練習できるか!!」と言っているわけではなく、苦しい場面でそうやって気持ちを切り替えていくことができるようになって欲しいと思うだけです。今のところしっかりと練習をしてくれています。「やらされている」か「自分たちでやっている」のかはまだまだ分かりませんが、非常に良い雰囲気で練習をしているのだけは確か。
日々の生活の中で絶対に何か「感じる」ことがある。「嫌だ」「嬉しい」「やりたくない」「やりたい」という様々な感情が発生します。その感情を素直に受け止めることが大事。心の動きのない生活ほど寂しいものはない。絶対に心は動きます。その動きを受け止めて欲しい。それを言葉にすればいい。それが「継続」できればきっと何かが変わる。「目標」も毎日口にすること、記すことで意味がある。1年に1回だけ決めて時々思い出すのでは意味はないでしょう。「継続」すること。ここから生み出されるものは大きい。
高校生には読みづらい文章ですね~。まーお許しを。今のkanekoの想いを書いただけですので読み飛ばしてください。
このことは昨日のblogに書いた「ルールを守っていない」のにも関わらず、他者がルールを破った時に厳しく追及するのと根底は一緒ではないかな?自分自身は「課題」をやり遂げていないのに、その「課題」に対して不平不満を言う。kanekoは文句を言うのなら「完全にやり遂げてから」言わなければ意味がない気がします。全てをやり終えてそれでも「意味がない」と思うなら「こんな練習できるか!!」という発言をしても説得力がある。しかし、やってもいないのに「こんな練習意味がない」とか「できるか」と言うのは説得力がありません。最大限の努力をして、その時点で何を思うのかが大事だと思います。これはkanekoが生徒に「社会人として身につけて欲しい考え方」です。練習だけでなく絶対に生きていく上で役に立つと思っています。
やる前から「意味がある」「意味がない」を決めつけても仕方ない。本当に「意味がある」「意味がない」は全てをやってから判断すればいい。「意味がない」と思えばやらなければいい。「意味がある」と思えばやればいい。部活動も同じじゃないかな?その部活に所属することで自分にとって「学ぶべきもの」や「意味」があれば所属すればいいし、「意味がない」「なぜやっているのか分からない」のであれば、自分の中で「意味がある」と思うことをすればいいでしょう。アルバイトに金銭面以外の「意味」を感じるのであればそれも大事だと思う。高校生活の中で「服が欲しい」とか「ブランドものが欲しい」とかいう理由でアルバイトをしても「意味」はないと感じています。
「まだ走るのか・・・」と嫌気がさして、ダラダラ走るなら走らない方がいい。走るならその効果を最大限に引き出すために走った方が何倍も「意味」がある。身体にエネルギーが無くても「まだ走るのか。kanekoめ・・・。」という「心」のエネルギーがあるならそれを「走る」エネルギーに変えればいい。人間っていつも「正」のエネルギーばかりではないと思うんですよ。時には「負」のエネルギーだってある。そのエネルギーをどこに使うかで違ってくる。他者に対する「負」のエネルギーがあったとしてもそれを自分のために「正」のエネルギーに変えればいい。それが次第に最初から「正」のエネルギーに変わるようになる。
世の中、きれい事だけでは済まない。何かをしたら全て「正」のエネルギーが発生するなんてことは「理想」であり「夢物語」です。「負」のエネルギーが発生することだってある。それをどのように「正」のエネルギーに変換していくか?そのへんが大事なんじゃないかな?その感覚を身につけることで、将来きっと役立つと思う。
これもkanekoの個人的な考え方です。うちの選手が「こんな練習できるか!!」と言っているわけではなく、苦しい場面でそうやって気持ちを切り替えていくことができるようになって欲しいと思うだけです。今のところしっかりと練習をしてくれています。「やらされている」か「自分たちでやっている」のかはまだまだ分かりませんが、非常に良い雰囲気で練習をしているのだけは確か。
日々の生活の中で絶対に何か「感じる」ことがある。「嫌だ」「嬉しい」「やりたくない」「やりたい」という様々な感情が発生します。その感情を素直に受け止めることが大事。心の動きのない生活ほど寂しいものはない。絶対に心は動きます。その動きを受け止めて欲しい。それを言葉にすればいい。それが「継続」できればきっと何かが変わる。「目標」も毎日口にすること、記すことで意味がある。1年に1回だけ決めて時々思い出すのでは意味はないでしょう。「継続」すること。ここから生み出されるものは大きい。
高校生には読みづらい文章ですね~。まーお許しを。今のkanekoの想いを書いただけですので読み飛ばしてください。