卒業式。この日までに何をするか。そこが大切だと思っています。特別な日ですがこの日だけ何かを話すというのも違うなと。そこまでのプロセスで何をしてきたのか。ここは大きな話だと思っています。
担任をして最初の卒業生を送り出した時は私がDVDを作りました。2回目は生徒と一緒にDVDを作りました。3回目は生徒が自分で作りました。自ら動くという感覚が育てられたのかなと。私から与えるだけではない部分が欲しかったので。
今回は流れのまま。これまでも学校行事の時にはスマホで写真を撮ってデータを渡していました。ある程度のデータを追加で集めてDVDに焼いて渡すだけとしました。あとは少し時間をかけてポストカードにコメントを書いて渡す。話をするだけよりはメッセージを送りたいなというのがあったので。一人ずつ手紙を書いても良かったのですがあまりにも長くなるとどれだけ時間があっても足りません。ここは考えないといけない。話をするプラスメッセージかなと。
卒業式を迎えるまでに何度か教室で呼名練習をしてきました。生徒が返事をするというよりは私が読む練習をしなければいけないなと思ったので。体育館で練習をした時にマイクを使って呼名しました。すると、声が小さくて聞こえない&いつもと感じが違って分かりにくいというクレーム?がついたので今回もマイクを使わずに自分の声で名前を呼ぶことになりました。こういう部分、協調性がないとかスタンドプレーと言われるのかもしれません。それでも必要があればやるべきだと考えています。
卒業式の日、式直前に教室で練習。ここが一番ヤバかったですね。一人一人を目の前にして呼名する。顔が見えます。こちらの声に精一杯答えようとしてくれる感じがありました。後半にはこちらも涙が出てきて終わった時にはかなり(笑)早すぎです。生徒にもバレていたようでしたが。
式自体は良い返事でした。歌を歌う時にもかなり声が出ていました。感動。答辞は陸上競技部の選手が行いました。途中部活の話が出てきた時にはやはりこみ上げるものがありました。良い式だったと思います。
教室に戻り一人ずつ卒業証書を手渡し。そのタイミングでそれぞれが一言話をするという流れでした。これはうちの学校の流れのようなので。初めてでした。うちのクラスの生徒は3学期に全員「1分間スピーチ」をさせていました。かなり嫌がっていましたが(笑)それでも思っていることを人前で話すというのは必要かなと。卒業式で話すことがないじゃないか?!という噂もありましたが。今回は保護者への挨拶を含めてかなり涙を流しながら話してくれていました。こういう機会も必要かなと。
私からも少しだけ。今回学校新聞にコメントとして「与えられる」から「与える」へ、というタイトルで書きました。この辺りのことも含めて。保護者の前で話をするというのは微妙ですが「痛い目に合えばいい」という内容を。これまでは周りが失敗しないようにフォローしてくれていました。繰り返しになるかもしれませんがうちではほぼ至れり尽くせり感があったと思います。しかし、これからはそうはいかない。保護者も含めて「失敗しないように」という前提の中で話をします。でもそれでは本当に大切なものに気づかない事が出てくる。だからこそ痛い目にあって気づくこともあると思います。失敗しないように安全にやっていくだけでは何も変わらないかなと。
あとは「楽しむ」事が必要だと思います。ひたすら楽しむ。自分自身が楽しいと思えなければ周りも楽しめない。この辺りの感覚は話をしています。自分だけが楽しいというのはエゴにしかなりません。それでも楽しいと思えなければ何も変わらないと思います。その手の話をずっとしてきました。別に私が今更色々な話をする必要はないかなと。分かってくれていると思います。
もう少し書きたいなと思います。中身が薄いかもしれませんが。
担任をして最初の卒業生を送り出した時は私がDVDを作りました。2回目は生徒と一緒にDVDを作りました。3回目は生徒が自分で作りました。自ら動くという感覚が育てられたのかなと。私から与えるだけではない部分が欲しかったので。
今回は流れのまま。これまでも学校行事の時にはスマホで写真を撮ってデータを渡していました。ある程度のデータを追加で集めてDVDに焼いて渡すだけとしました。あとは少し時間をかけてポストカードにコメントを書いて渡す。話をするだけよりはメッセージを送りたいなというのがあったので。一人ずつ手紙を書いても良かったのですがあまりにも長くなるとどれだけ時間があっても足りません。ここは考えないといけない。話をするプラスメッセージかなと。
卒業式を迎えるまでに何度か教室で呼名練習をしてきました。生徒が返事をするというよりは私が読む練習をしなければいけないなと思ったので。体育館で練習をした時にマイクを使って呼名しました。すると、声が小さくて聞こえない&いつもと感じが違って分かりにくいというクレーム?がついたので今回もマイクを使わずに自分の声で名前を呼ぶことになりました。こういう部分、協調性がないとかスタンドプレーと言われるのかもしれません。それでも必要があればやるべきだと考えています。
卒業式の日、式直前に教室で練習。ここが一番ヤバかったですね。一人一人を目の前にして呼名する。顔が見えます。こちらの声に精一杯答えようとしてくれる感じがありました。後半にはこちらも涙が出てきて終わった時にはかなり(笑)早すぎです。生徒にもバレていたようでしたが。
式自体は良い返事でした。歌を歌う時にもかなり声が出ていました。感動。答辞は陸上競技部の選手が行いました。途中部活の話が出てきた時にはやはりこみ上げるものがありました。良い式だったと思います。
教室に戻り一人ずつ卒業証書を手渡し。そのタイミングでそれぞれが一言話をするという流れでした。これはうちの学校の流れのようなので。初めてでした。うちのクラスの生徒は3学期に全員「1分間スピーチ」をさせていました。かなり嫌がっていましたが(笑)それでも思っていることを人前で話すというのは必要かなと。卒業式で話すことがないじゃないか?!という噂もありましたが。今回は保護者への挨拶を含めてかなり涙を流しながら話してくれていました。こういう機会も必要かなと。
私からも少しだけ。今回学校新聞にコメントとして「与えられる」から「与える」へ、というタイトルで書きました。この辺りのことも含めて。保護者の前で話をするというのは微妙ですが「痛い目に合えばいい」という内容を。これまでは周りが失敗しないようにフォローしてくれていました。繰り返しになるかもしれませんがうちではほぼ至れり尽くせり感があったと思います。しかし、これからはそうはいかない。保護者も含めて「失敗しないように」という前提の中で話をします。でもそれでは本当に大切なものに気づかない事が出てくる。だからこそ痛い目にあって気づくこともあると思います。失敗しないように安全にやっていくだけでは何も変わらないかなと。
あとは「楽しむ」事が必要だと思います。ひたすら楽しむ。自分自身が楽しいと思えなければ周りも楽しめない。この辺りの感覚は話をしています。自分だけが楽しいというのはエゴにしかなりません。それでも楽しいと思えなければ何も変わらないと思います。その手の話をずっとしてきました。別に私が今更色々な話をする必要はないかなと。分かってくれていると思います。
もう少し書きたいなと思います。中身が薄いかもしれませんが。