思うことを。
金曜日、色々と感じることがありました。師匠とやり取りをする中で「学ぶこと」「感じること」の大切さを改めて考えさせられました。
前の記事にも書いていますが。色々と「与えること」などについて最近よく考えています。何も考えなくても「速い者は速い」というのがあります。火曜日のミーティングでも選手に配布しましたが「世の中は不平等」なのです。「みんな等しく」という理想論が掲げられますが「走る」ことに関して、全員が10秒台で走れるわけではありません。女子全員が12秒台になるわけでもない。努力をしたとしてもそこに対して「結果」が伴うかどうかわからない。ここは忘れてはいけない事実だと思っています。
が、指導をすることによっていくらか変わってくる部分がある。これもまた事実。私は昔から「指導」についていろいろと勉強させてもらっています。様々な場所に訪問させていただきそこで「何をしようとしているのか」を見続ける。一番は師匠との「競技談義」の中で培っていると思っています。普通の選手が勝負するためには「徹底した指導」が必要になると思っています。10年前にやっていた指導方法で走れるようになってきたといっても今も同じことができるとは思いません。選手の気質も大きく変わってきています。そうなると「目の前で起きていること」に対しての対応が必要になる。
技術的に「やりたいこと」がある。だとしても「基礎筋力」がなければできません。筋力を上げることを考えると「ウエイト」もその手段の一つになる。が、そこに着目し続けると偏った結果になる。師匠が昔から「普通の選手にはウエイトよりも補強のほうが効果がある」と言われていました。ウエイトでは負荷が足りない部分もありますし、意識によって筋力の上下が違ってくる。
「大きな筋群を鍛える」というのがウエイトの主眼になる。が、やはり忘れてはいけないのが「体幹補強」だと思います。師匠と話をする中でその部分の重要性が再認識される。「シャフト補強」か「ウエイト」かという談義もかなりしています。この部分でも「正解」がどこにあるのかを探していかなければいけない。一長一短あると思います。近畿地区はあまりウエイトをしているという話は聞きません。やっているのかもしれませんが。競争の激しい近畿地区を勝ち抜くために「創意工夫」がかなりある。そこに学ぶことは数限りなくあると思っています。
正直、「世の中は不平等」です。きちんとした練習計画が立てられなくても速い選手がいるというチームはいます。計画があっても技術的な指導が不足すればもともと早い選手であっても「伸び悩む」というのがある。そんな状況の中で指導する私たちが何をするのか。試行錯誤しながら「本当に必要な練習」を組み立てていくしかないのかなと感じています。
全国で活躍する強豪校。「基礎基本の徹底」という指導をされていると聞いています。師匠の紹介で近いうちに訪問させていただけることになりました。どのような意図があってそのような指導スタイルなのか。根本的な部分は「走りに共通する基本的な部分を身に付ける」ということだと思います。中学時代に速いといってもそれがある意味「我流」でしかない。そうなると高校で伸びが止まってしまう危険性がある。オーソドックスな走りを身に付けていくことで安定した力が発揮できる。
その中に「基礎筋力の向上」であったり、「ボディコントロール」があったりする。ウエイトをする効果はあると思っています。短期間で競技力を上げるためには「筋力アップ」が一番かなと。しかし、これを支える「体幹の強さ」があるかないか。地道に身体を作っていくことで安定していくのではないか。師匠が「指導をしていて気づいたこと」について言われていました。このことを「反省している」と。かなりの年齢です。多くのことを見ながら学びながらやってきた師匠がこの歳になって「反省している」と感じる。本当に頭が下がります。どこまでやっても追いつける気がしません。
私は本当に学べているか。学習できているか。それを選手に還元できているか。競技指導をする中で誰かにプラスの影響を与えることができているか。考えさせられます。国体のコーチとしてかなり長い間関わらせてもらっています。当初から比べるとかなり「分かる」ようになってきたかなと思っています。自分の感覚だけではなく頭を使って考え、多くのことを学びながらやってきた。指導という意味では大きく成長できているのかなと思っています。
学ぶ姿勢。この姿勢が少ないなと思うことが多い。私だけではなく周囲を見渡しても。もっと有効にできることがあるのではないか。学ぼうとすれば全てから学べるのではないか。そう思っています。今の自分が何を学んでいるのか。学び続ける姿勢を学んでいる気がします。自省しながら前を見ていきたいなと思っています。
まとまりません。思うがままに書きました。また書きます。たぶん。