思うことを。
これも何が正解かは分かりません。「不要不急」の外出を控える。これが求められています。その状況下の中で「練習をする」ということがどのような意味を持つのか。多くの試合が中止される中で何を目標に練習をするのか。それさえも分からないかもしれない。それなのに「一生懸命にやる」ということを子供たちはできるのか。
都市部からすれば「練習をする」というのは「考えられない状況」だと思います。島根と鳥取は「記録会」や「競技会」が実施できる状況だと聞いています。「何故試合をするのか」「何故競技会をするのか」と問われるのかもしれません。「スポーツ」自体が「不要不急」の行為だと思われるかもしれない。しかし、感染者が1名も出ていない状況で「画一的に中止」を求められるのは若干違う気がしています。参加できるのは県内在住の学生だけ。県内在住者のみ。これがダメと言われる理由は見当たりません。都市部からすれば「何故練習をするのか」「何故スポーツをするのか」と問われる。
東日本大震災。このときに日本中が「笑ってはいけない」という雰囲気がありました。多くの人が亡くなっているのに笑うなんて不謹慎だ。CMに関しては「ACジャパン」のものが大半を占めるという状況でした。笑いが生まれるCMはなかなか放送しにくいといい状況下にあったのは間違いないと思います。これにより日本中が重い雰囲気の中で時間を過ごしていきました。
このとき私は「粛々と活動する」と決めていました。全ての人が「活動を自粛する」ということが本当に「生活」なのか。もちろん、直接被害にあった方もいます。その中で何も影響を受けなかった私が「普通の生活をする」ということが「悪」なのか。「不謹慎」なのか。そこをどのようにとらえるのか。正解は分かりません。「何か」があった時に全ての人が「自粛」することが良いことなのかどうか。もちろん、必要のない旅行などは控えるべきです。自分自身が感染し他者を感染させる危険性があるからです。
島根県や鳥取県が「他県が自粛しているのに自分たちだけやるのか」といわれるのは違うなと思っています。それぞれの状況に応じて「できることをする」というのは必要なことだと思っています。「できない」「やるべきではない」という時には絶対に控えるべきですが、細心の注意を払ってさらにリスクを取り除きながら「できることをする」というのは「悪」ではないと思っています。全ての人が同じ活動をする必要はないと思うからです。
山口県内。本当に一律にやるべきかどうか。先日から下関市で「新型コロナ」の陽性と判定される事例が上がりました。また、北九州市で感染が広がった中で下関市長が「活動自粛」を要請していました。これは「福岡」と「山口」だからではないと思っています。「北九州」と「下関」は県が違います。しかし、横に長い山口県では「下関」と「岩国」ではかなり離れています。高速道路を使って2時間はかかります。200kmは離れている。それが「同じ県内だから」という「枠」で考えることが適切なのかどうか。
今、我々が生活している地域の周辺では「新型コロナウイルス」が蔓延するという状況化にはありません。それでも「新学期」を例年通り始めることが「適切」かどうかは分かりません。40人の人数が一か所に集まって50分生活をする。「密接」「密集」「密閉」の中で活動をすることが本当に正しいか。しかし、これがいつになったら収束するのか。全くめどが立たない中でどう判断してどのように行動するのが正解なのか。見えません。
明らかに「地域」による「差」があるのは間違いありません。それを全てで一律に「ダメだ」というのも違う気がします。私は「他校との接触」を一切避けるようにしています。最初は「記録会」の代わりに競技場で記録を測定しようかとも思っていました。しかし、そうなると中学生や高校生と接することになる。リスクが生まれます。選手同士の接触も避けたい。身体を動かすにしても「息が切れて倒れこむ」ような「練習」はするべきではないと考えています。「身体を動かす」という部分がメインになるかなと。
「練習なんかはやるべきではない」という意見があるのも間違いないと思います。状況を見ながら考える。判断していく。その代りリスクは避ける。「部活動再開」になったからといって「これまで通り」と考える人もいるかもしれません。「kanekoは部活ばかり」と揶揄されます。まー本質的に私がどのように考えて行動しているかは普段の活動を見ている人にしか分かりません。こうやってblogを書くと「練習のことばかり」と思われても仕方ないのですが。実際問題、そこだけではない。それだけは分かってもらいたい。
ここ数日間、普段になく「コメント」がありました。それに対しては真摯に向き合いたいと思います。どのように考えているのかを伝える機会になると思っています。数日前にはなぜか訪問者数が600人近くになりました。残念ながら私はそんな数の知り合いはいません。検索で引っかかって見られたのかもしれない。だからといって「スタンス」や「考え方」は変えたくないと思っています。多くの人に見られるということは「リスク」です。コロナ感染と同じ部分があります。
何度も書いていますが「雉も鳴かずば撃たれまい」です。発言をしなければ誰かに何かを言われることもない。だからといって「これまでの生き方」自体を変える気はありません。注目されるようなことをする気もないですし、考え方や想いを発信することを辞めることもないと思います。
色々な場面で「差」は感じます。自分の感覚が正しいとは思うことはありません。それでも「何を目指すか」「どうするのか」は考えていきたい。強くそう思っています。環境が許す限りは「身体を動かす」ことはしたいと思っています。ある程度の「自粛」をしながら活動を進めていきたいと。興味がある方はなんとなく見てください。別にみることが「必要」だとは思いません。
まとまりません。