kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

ひたむきに・・・

2020-04-06 | 陸上競技

「引退」について話をしてから。

 

繰り返しになりますが「部活動」だけが人生のすべてを決めるわけではありません。誰かに強制されてやるものではない。だから「続ける」も「引退する」も自分の選択です。「大学に行って競技をやる」という選手たちであれば「続ける」という選択になるのかもしれません。しかし、就職や高校で競技を終える選手にとっては「高校生の陸上競技」で人生の中の競技を終えることになる。この世界情勢の中で「競技」を続けることがプラスになるのかどうか。周囲からは「やる必要がない」といわれる部分かもしれない。

 

こちらからは声をかけずに見守ることしました。「今日はやらない」という選択もありだよと話をしていました。が、全員が練習を始めました。それも意識的に普段よりも声を出して「笑顔」で。この姿を遠めに見ながら一人色々と考えていました。

 

「強制されるものではない」という部分。まだ「県総体」が実施されるかどうかわからない状況で「選択」をするというのは教育的ではないのかもしれません。それでも「やっても試合がないかもしれない」という部分をどこかに持っておかなければいけない。この状況で「モチベーションを高く練習をする」というのは難しい。

 

先が見えない。この状況で自分が努力したことが「形」にならないかもしれない。ここはどうなのか。

 

指導の中では「過程」と「結果」の両方を大切にしています。「過程」は「目標」に向かって進んでいく中で何を感じ何を思うか。その中で自分自身が成長していきます。何もやらないで試合にだけ出るというのは「意味がない」と思っています。そこに至るまでに何をするか。ここが指導の根幹をなしていると思っています。

 

同時に「結果」も。「努力することが大切だ」という指導者もいます。それは私もです。が、「頑張ることを頑張る」ということになっていないか。「自分たちはこんなに努力をしているんだ」とやみくもに何かをすることで「満足」はするかもしれません。青春ドラマのように「努力することは美しい」となる。が、そこには「結果」という部分が抜けてはいけないと思っています。

 

一生懸命に練習をしたが駄目だった。そんな話のほうが多い。しかし、高校生の競技生活を考えると「0.01秒でも速くなる」ために練習をするべきだと思っています。「練習をする」ことが大事ではない。その努力が「結果を出す」ことに繋がっていかなければいけない。「どうすれば速く走れるか」を考える。だから練習をする意味が出てくる。「速くなった」という「結果」だけではなく「どのようにその結果を迎えたか」というのが重要だと思っています。

 

そういう信条の中で指導を続けています。「結果」が出せない可能性がある。「出せないというよりもそのチャンスさえ与えられない危機がある。その中で「最後まで必死にやりなさい」を強制する気にはなりません。無責任でしょうか。この子たちが悪い部分は何もない。それでも現実はある。

 

その中で選手はひたむきに明るく取り組む。声を出しながら。密着することはなくある程度の距離感を取りながら他の者に指摘をする。この姿を見て私は涙が出ました。まだまだ未熟な部分が多い選手たちです。それでも「前を向いて進もうとする」姿は印象的でした。それをみて私は「この子たちと一緒に時間を過ごせて本当によかった」と感じました。誇らしくもあります。

 

練習の最後にもう一度話をしました。「続けるなら必死にやりなさい」と。この子たちがこの冬にやってきたこと。それは間違いではない。確実に力がついています。それを「示す」場所があるかどうかは分かりません。それでも「県総体がある」と信じて進む。その意味は大きいと思います。もちろん、こういう情勢ですから「部活動をやるなんてもってのほかだ」といわれる可能性はあります。「不要」なものかもしれない。

 

それでも今の3年生にとってはここに大きな意味がある。前向きに取り組むことで見えてくるものがある。それが正解かどうかは分かりません。もちろん、何一つ強制する気はありません。「休みたい」「怖い」という意見があれば尊重します。こちらから「辞めよう」ということも当然ながら出てきます。最優先すべきは「自分の命」であり「他者の命」です。そこを度外視して「ひたすら練習をする」つもりは最初からありません。

 

こちらの想いを話しました。何人かは涙を流していました。青春という気は一切ありません。これまでの時間、ずっと「速く走ること」を目指してやってきたから流れる涙だと思います。「最後」をきちんと迎える。それができないかもしれない。それでも「前を向く」選手たちの姿は私よりも強いなと思っています。

 

このよう話をする必要があったのか。賛否両論だと思います。どちらかというと「批判」を受けるのかもしれません。しかし、「想い」は選手たちにもある。その「想い」は否定できない。もちろんんその「想い」を押し通して好き勝手にやるというものでもない。分かっていると思います。

 

選手がそれぞれ思うことがあると思います。それは今は聞けないかもしれない。これから先、どのように出てくるか。揺れる部分は間違いなくあると思います。それでも進みたい。どのような「結果」になるかは分かりません。そこに至るまでの「過程」は穏やかではないと思います。それでも前を向く。選手の姿から学びました。

 

私にできることは何か。「もう辞めよう」というのも必要になると思います。周囲の状況を見ながら判断をしていきたいと思います。選手は強いなと思っています。私自身も涙が止まりませんでした。情けない話ですが。「一生懸命にやる」という姿。心打たれます。

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選択をする権利

2020-04-06 | 陸上競技

思うことを。このことに関しては非常にデリケートな話だと思っています。それがどのような「結果」をもたらすのか。正直分かりません。「価値観」であたったり「指導観」であったり。感覚の差があるのは確かだと思っています。私の考え方が間違っている可能性も十分あります。

 

金曜日、土曜日の「陸連主催の大会を6月末まで実施しない」という通達。これは本当に大きな意味があります。都大会は実施せず、南関東大会は実施せず。そうなると間違いなく「インターハイ」は実施できないということになります。南関東代表を参加させずにインターハイを行うということができるかどうか。そして他のブロックは「代表」を選ぶための大会を実施できるかどうか。可能性としては限りなく低いと思っています。

 

その中で「最後まで必死に練習をしよう」と提案できるのか。「目標」が明確ではない中でどれだけのことができるのか。インターハイ路線がなくなったとしても「県総体」だけはできるのかもしれない。もちろんできない可能性もある。ここに対して「一番近くで見ている者」がどのように話すのか。

 

「部活動はそこまで大事ではない」と考える人も多くいると思います。それは「真」だと思います。しかし、その過程から学ぶものは多い。「勉強」ももちろん大切。そこの部分だけではない。このご時世に「練習をする」ことが本当に必要なのか。被害者にもなる、加害者にもなるという状況の中で「練習をする」というリスクは大きい。さらに「あるかどうかも分からない大会」に向けて「これまで通り練習を必死にやる」ことをこちらが求めるというのはどうなのか。そんな葛藤がありました。

 

なぜそのように考えるか。これはこの冬の取り組みを見てきたからです。これまで以上に「必死」になって取り組んでいる者が多くいました。新3年生を中心に半年前とは別人のような動きができるようになってきている。そのために多くのことを犠牲にしてきたと思います。遊びに行く時間を削り、自分の身体のケアのために時間を作る。この状況を半年間ずっと続けてきました。我慢することも多かったでしょう。

 

それも全て「速く走りたい」という大きな目標があったから。記録会や支部大会、県総体の中で「今までの自分を越える」ことを目指してやってきた。陸上競技の練習自体は派手ではありません。うちの練習も同様。それなりに楽しみながらできるようにはしていますが「笑顔でやり続ける」というものではない。練習で記録を計ることはできますがそれが「単純な結果」として受け入れられるのは難しいかなと。

 

この半年間本当に必死にやっていました。だからこそ「これ以上目標が曖昧の中で競技を続けることの意味」を自分の中で考えていました。「県総体の実施ができるかどうか分からないけどひとまず身体を動かす」というのも一つの方法だと思います。中止が確定したわけではない。「ひょっとしたらできるかもしれない」という可能性に一縷の望みを託して。しかし、そこに向かうためには「覚悟」と「想いの強さ」が求められます。「とりあえずやっておくか」という感覚でこの半年間を過ごしたわけではない。だからこそ「本当にこのまま続けることができるのか」という部分がありました。

 

批判を受けるかもしれません。それでも「今の現状」を選手たちには伝えておく必要があると思っていました。なんとなく誤魔化しながら県総体の時期を迎えて「やっぱりなかったわ。ごめん。」という話で済ますわけにはいかないなと。真剣に競技に向き合ってきた選手に対してこちらも「今の自分たちの状況」を伝える義務があると思っていました。

 

長距離とも整合性を取りながら。全体に対して話をしました。「陸連からの通達」「他地区の状況」「県総体の位置づけ」なども。そこで「選択する権利」を選手に与えました。今の状況で「必死にやりなさい」と求めることができるのかどうか。これまでやってきたことを続けるというのは簡単ではない。「記録を狙う」という意味ではその「場」がなくなるかもしれない。「そこまでできない」と思うのであれば「引退」という選択肢もある。そういう話をしました。「続ける」「引退する」という選択肢。突然のことだと思いますが頭に入れておかなければいけない部分だと思います。

 

これは「身体を動かす程度の練習」を冬季練習でやってきた選手であれば言いません。なんとなく「県総体がない」というのが分かって「それでは辞めようかな」と簡単に割り切れのであればそれでいいと思います。今目の前にいる選手は「必死にやっている」者が大半。同じようなことを求めるのは違うのかなと。

 

かなり話をしました。「県総体があると信じて必死に練習をする」ことができるか。気持ちが切れてしまってできないという状況になっても仕方ないと思っています。「あるか分からないけど必死にやるように」と私から強制することはできないと思います。ここは本人たちの「意思」かなと。本人たちが望まないのであれば「練習をする必要性はない」と思っています。無責任でしょうか?しかし、何もないかもしれない可能性がある中で「最後までやり続けろ」といえるのか。いや、「最後まで」の「最後」とはいつなのか。「県総体はやらない」と決まった日が「最後」なのか。

 

この子たちの取り組みをみてきたからこそ。そう思っています。「7月まで我慢したらレースができる」という保証があるのであれば「今は我慢だ」という話ができます。それさえも曖昧な状況で「今は我慢だ」ということは無責任だと思っています。それでも「可能性」を考えて続けるというのは「自分の選択」でなければいけない。もちろん途中で心が折れることがあるかもしれない。それでも「今」どのように考えるか。

 

涙を流している者もいました。この状況をどのように受け入れるか。「現状を知る」というのは必要不可欠だと思っています。今日練習できないと思えば帰ってもいいと伝えました。そこに対してどう感じてどう動くのか。見守ることにしました。

 

続きはまた別に書きます・・・。

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先が見えない怖さ

2020-04-06 | 陸上競技

思うことを。

 

前の記事、よくわかりませんがかなりのアクセスがありました。600を越える。内容自体が面白いものではありません。今我々が置かれいる現状をどのように受け止めるか。ここは人それぞれだと思いますね。

 

いたるところで新型コロナウイルスの「陽性反応」がでたと報道されています。遅かれ早かれそういう話になると思っていますした。検査を受けられる人自体が少ない。芸能人が「検査を受けたい」と申し出ても2週間近く受けられず粘りに粘って何とか受けさせてもらったというニュースが出ていました。それでなんとか「陽性」というのが分かったと。無自覚の「感染者」は数えきれないと思っています。

 

先が見えません。どう考えても1か月後に「沈静化する」という可能性はないと思います。これが「2か月」経過しても同じだと思います。半年たっても1年たってもそこまで大きな改善がみられるかどうか。今、沈静化している国々でも活動が再開されればまた同じような状況が起こることが予見されます。様々な活動を1か月間休止する。その結果、「一時的な沈静化」はすると思います。しかし、ウイルスに対しての「対応策」があるわけではない。今の時点では「対症療法」でしかない。「アビガン」というインフルエンザの薬も「感染しないようにする」というものではない。そう考えると「根本的な治療法」ではない。

 

ワクチンが作られるのが半年はかかるでしょう。それが人に使えるようになるのは1年近くかかるのではないか。そこまでは「感染しないように最大限の配慮をする」という対応方法が一番の方法になると思います。結局、また次のピークが来るのは間違いないと思います。今の時点で「一時的な沈静化」を図る必要性はあると思います。しかし、それが「根本的な対処法」ではない。そこをどう受け入れているか。「新型コロナウイルス」とどのように付き合っていくのかという話になると思っています。

 

そうなると一気に改善する状況ではないというのだけは確かだと思います。それをどうするか。日本中が新年度が始まって「先が見えない状況」の中で活動をしています。何が正解なのか分からない。全てにおいて「最大限の配慮」をするべきだと思っています。油断はできない。実際問題2月末に「休業」に入る前よりは状況は悪化していると思っています。改善されている感じはない。

 

地域によって「状況」は大きく異なるのは事実だと思います。今とのころ山口県では「通常通り新学期が始まる」ということになっています。同じ県内でも場所によっては異なってくると思います。一気に電車での通学が始めれば「リスク」は大きくなります。その部分をどうとらえるか。考えるべきだと思っています。

 

収束する気配がない。その中で人々は「不安」を抱きます。それにより「目標」が見失われる。ここも苦しい部分です。どうするのか。ここは見極めたいと思っています。「ゴールデンウィーク」が明けたら状況が改善するという確約があるなら問題ないですが間違いなく無理です。先が見えない。その中で人はどのように気持ちをコントロールするのか。誰も経験したことがない状況であることは間違いない。

 

自分のこととしてどれだけの人がとらえているか。ここも大きいと思います。考えたいと思います。

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