ほとんど競技のことを書けていません。以前に比べると「情熱」が冷めてきているのかもしれないという自分の中での葛藤があります。冬季練習が始まる前、冬季練習中、冬季練習が終わってから。同じような話を何度かしました。「このままでは戦えない」という現実を話す。
今は「部活動の指導」というのがどこまで求められているのか分かりません。体罰や暴言などが許されないのは今も昔も変わりません。とはいえ「強くなりたい」というのがあればやはりそれに見合うだけの練習や取り組みが必要です。なかなか変わらないなという感じの中でやってきました。「このままではインターハイにいけるのは1人いるかどうか。中国大会に進んでも誰も予選を通過しない。ほとんどの者が中国大会に進めずに終わる」という厳しい話も何度かしました。現実味がない話だと思われていたかなという気もします。
支部大会が終了。結果としては「戦えない」という部分が大きくあります。予想される結果ではありましたが、ここまで厳しいとなるとどうするべきか。「指導力がないから」と言われたらそれまでです。私自身は「指導力がない」といわれるのであれば受け入れたいと思っています。なんか「陸上競技」に対する「想い」自体が枯れかけているのかなというのも感じています。
これまでであれば冬季練習の途中で「手ごたえ」を感じることがありました。来年度は戦えるなという気持ちが湧いていました。今は私の中では「どうだろう」という部分しかありません。教員のくせに否定的なことを書くなという人もいるでしょう。まーそれはそれ。実際に感じた感情があるのは確かです。
なんとなく頼ってくれる選手が内外にいます。それに対してアドバイスなどができるといいのかなとは思っています。ハードル練習会を実施したり。クラブチームを設営して指導をしたり。それがこれから先の楽しみになるのかもしれないというのがあります。メインで指導していないからというのが理由ではない気がします。自分の中でうまく処理できない感情があるのです。
誰かが頼ってくれるのであればそれに対して何かできたらいいなという想いはあります。ぬるま湯につかっている間は何をしても変わりません。教員を辞めて何か新しいことをというまではいきません。経済的基盤がなければ生活ができないからです。部活動の指導で給料をもらっているわけではありません。業務としての部分は「かなりやっている」という自負はあります。本当にかなりやっています。だから「給与」の面では批判される必要もない。
「自分の生き方」について考えさせられる。これは常にあります。モヤモヤした中で生徒の指導をするなという人もいるでしょう。考える、悩む権利くらいは我々にもあるはずです。悩んだこと、考えたことを公言することも許されています。抱え込んでおけという話ではないと思っています。
戦えない。それが突き付けられています。「技術的なこと」ではない部分が大きいのかなとは思っています。逆に「技術」の話が多くなると「何が何でも」という気持ちが生まれにくいのかもしれません。知識過剰になることで「単純に走る」ということができなくなってしまう。言わなければ何も変わらないのは確かですが。
難しいなと思っています。何ができるのか。何をしていくのか。これから先の自分自身についても考えさせられます。