ほとんど競技に関することがかけてません。なんでかな~。最近は「競技の指導そのもの」について他の指導者と話すことが増えています。指導内容というよりも「指導すること」の関しての価値観について。ここは人それぞれだと思います。20代のころ、30代のころとは思いが違ってきているのかもしれません。それで本当に良いのかどうかここも以前と比べると「考え方」自体が変容してきているのかもしれません。
技術的なこと。ここをやるのであればやはり「ハードル練習会」のように「学びたい」と思ってきてくれる選手に対して情報提供をするほうがいいなと思っています。もちろん、温度差はありますがある程度「学びたい」と思って来ているはずですから。意欲の差はありますが「必要だから来た」というスタンスがあれば伝えられることも増えてきます。
通常の練習とは違う部分もある。だからこそやりやすいというのもあると思います。今自分自身がやりたいのは何かなと考えさせられる部分がある。別に何かがあったというわけではありません。それでも「やらないといけない」という気持ちもあります。10年前のように「何が何でも」という気持ちが私自身にないのかもしれません。よくない傾向ですが。
人は歳を取ります。10年前、20年前と全く同じ価値観で生きていくというのは不可能です。陸上競技というツールを使って「人間的な成長」を促したい。それが「教科」なのかもしれません。単純に「やっておけばいい」というスタンスは私的にはできません。授業などもある程度の「意図」をもって取り組んでいます。別に偉くなろうという気も全くないので。かといって、給料さえもらえばそれでいいという気もありません。
陸上競技を取り巻く環境。高校での部活動を取り巻く環境。中学の部活を取り巻く環境。全てのことが変容しています。その中で何をするのか。半年前と比べて何かが変わったか。そう考えると「意味があるかどうか」については考えさせられます。「技術的なこと」だけをやれるのがきっと一番楽しいんだろうなと思います。もちろん、そんな環境はあり得ない。分かり切っています。
いつの日かクラブチームを作るといいのかなというのもあります。が、そこまでのエネルギーが自分の中にあるのかどうかも疑問です。私ごときが「クラブチーム」を立ち上げたとしてもそれに賛同してくれる人がどれだけいるのか。お金をもらって指導するというのも今は増えてきています。そのスタンスもありだと思います。「受益者負担」という部分です。何かを得たければそれに対する「対価」を支払う必要があります。ボランティアでやっている。本当に必要なことを伝えようと思えば、厳しい言葉も必要だと思います。が、世の中では「言葉狩り」みたいなところもあって「一部分」だけを切り取って吊るし上げる部分も出てきます。そうなると間違いなく「リスク」しか存在しない。
ボランティアで何かをしてそれに対して「リスク」が大きく伴うというのは本当に意味がないことだと思います。色々な場面で「どうですか?」と選手が質問してくれるのは本当に幸せなことです。それに対して「最善の策」を提供してあげたい。その思いは全く変わりません。が、本当に「一番良いもの」を提供できているのかどうかは分かりません。
この1年間か数年でちょっと気持ちにも変化があります。なんかよく分かりませんが。本当に求められることは何か、提供できるものは何か。ここも自分の中で整理していかなければいけないのかなと思っています。特別に何かがあったというわけではありません。なんとなく思うこともあります。他の人と話をしながら考えていくこともあります。
まとまりませんが。記録だけしておきます。