ある晴れた日に第128回

ブレッソンの「ラルジャン」という映画では、高校生がこづかい稼ぎのために作った偽札をつかまされた真面目な労働者が、親切なおばあさんとその一家を斧で皆殺しにしてしまう。江戸の敵を長崎でとはこのことか。
誰かから被った悪意が、罪の無い善意の人をこの世から抹殺してしまうとは、なんという残虐さであろう。
ブレソンの世界には、神はいない。あるいは、いても沈黙を守っている。
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私の中には、間違いなく悪意がある。
そしてその悪意は、ふとしたはずみで他人の中に流れ込んで別の悪意を生み、その悪意がまた拡散してさらに毒々しい悪意を生みだすのだ。
もしかすると、この悪意の巨大な集積が、戦争をもたらすのかも知れない。
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私の中には、間違いなく善意がある。
そしてその善意は、ふとしたはずみで他人の中に流れ込んで別の善意を生み、その善意がまた拡散して、さらに清々しい善意を生みだすのだ。
もしかすると、この善意の巨大な集積が平和をもたらすのかも知れない。
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私の中には、間違いなく悪意と善意がある。
私が発した悪意は他人を傷つけるばかりか、私自身にも逆流して、その醜い毒液で私の中の良きものを損なうが、同じ私から流れ出た善意は、その無惨な傷を少しでも癒そうと努めるのだ。
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私の中には、間違いなく悪意と善意がある。
そしてその悪意と善意は、ふとしたはずみで他人の中に流れ込んで、別の悪意と善意を生み、その悪意と善意がまた拡散して、さらに強力な悪意と善意を生みだすのだ。
もしかすると、この悪意と善意の果てしなき反復が、私の生そのものなのかも知れない。
わが心を流るる毒素今日もおのれを殺しひとを殺し世界を殺している 蝶人