茫洋物見遊山記第126回
いつもは本邦で音響1,2を争う県立音楽堂に行くために紅葉坂を喘ぎながら登るのだが、今日はその右奥にある能楽堂で第61回横浜能をみました。
演目は狂言が和泉流の三宅右近、近成演ずる「酢薑」で、シテの堺の酢売りとアドの津の薑(はじかみ=山椒)売りの2人が鉢合わせして酢と薑の利点をお互いに自慢し合う滑稽譚ですが、その頭韻を踏まえた両者の秀句(洒落句)セリフの切れ味の鋭いこと。作者が誰だか知りませんがよほど学のある人物に違いありません。
後半の能は金剛流の「熊野」(金春禅竹の作と伝えられ、「ゆや」と呼ぶ)でシテの熊野を豊嶋三千春、ワキの平宗盛を福王和幸が務めました。昔から「熊野松風に米の飯」と称されるほどポピュラーで興趣に満ちた能の代名詞的なこの演目は、何度見ても米の飯のように飽きない名作です。
平家物語の小さなエピソードを大きく膨らませた宗盛とその愛妾熊野の細やかな心遣い、そして胸に病床にある母親への思いを殺して舞う熊野の「中之舞」こそ、この演目のハイライトでしょう。この日の熊野の「中之舞」をマイケル・ジャクソンやEXILE(エグザイル)の外面模写的で内容空虚なロボトミー・ダンスと比べてみれば、本邦の中世の踊りがどれほど高雅な芸術的価値に満ち満ちているかが小学生にも分かることでしょう。
本作に限ったことではありませんが、歌舞伎という「江戸オペラ」で最も重要な役割を果たしているのが「下座音楽」であるとするならば、能という「室町オペラ」を特徴づけるのは笛(能管)、小鼓、大鼓(大皮)によって構成される三拍子(時として太鼓を加えて四拍子)の囃子方でしょう。
鋭くリズムを刻む笛、柔らかくシテの心情に寄り添う小鼓、非情で激烈な運命の転回を打哭する大鼓というトリオが奏でる音楽こそが「室町オペラ」、いな本邦の芸能の最下層に脈打つ「血の音楽」あるいは原始心母であり、この三拍子の囃子の一撃は、マーラーの交響曲第六番第四楽章のハンマーによる「運命の打撃」よりもはるかに骨身にしみ通るようにして私たちの心臓を直撃します。
かくして私たちは能を観るたびに、世界で最も単純にして、最も強力な音楽との出会いを果たすことになるのです。
またしても世界最強最美の音楽が鳴り響く六月一日横浜能楽堂 蝶人