茫洋物見遊山記第128回&鎌倉ちょっと不思議な物語第289回
鎌倉山の開発に尽力した故菅原通濟によって1943年に創始された常盤山文庫が設立70周年を迎えたのを記念する今回の展示会では、その所蔵品の中から精選された国宝、重文級の墨蹟の名品が展示されています。
南宋の無準師範が書いた「巡堂」という寺の看板文字などはまことに純乎清冽な筆跡で、その高僧の行い澄ました高潔な人格まで想像できるような気がいたしますが、鎌倉時代に本邦に渡来した蘭渓道隆や無学祖元の紙元墨書も見事なものです。
日中双方の文字を比べてみると、先進国の中国のほうはよくいえば天衣無縫的下手くそで動的であるのに対して、後進国のわが国の方が作法通りにちまちまと上手であるが静的で、書の命である生気に欠けています。ベルクソン流のいわゆるエランヴィタールが欠如しているのです。
しかし今回わたくしの眼を釘づけにしたのはかの茶聖千利休が羽庵という人に宛てた手紙でした。利休は、元時代の文人が書いた横長の手紙をカットしてレイアウトしようとした羽庵に対して、「そのままにせよ。絶対に切ってはならぬ」と警告、指示しているのですが、その内容はともかく、その文字が一筋縄で括れない複雑で微妙なニュアンスを漂わせていることに刮眼瞠目いたしました。
一口でいうとこれは桃山時代の武人が書いたというよりは、近代あるいはわたくしたちの時代の非常に油断ならぬ人間が書いた痕跡のような感じがいたします。進むも戻るも容易ならぬ現代的な苦悩に満ちあふれた知的で繊細な筆といえば漱石の手ですが、時代は違うけれども時代を超えてちょっとこれに近いものが利休の書には感じられました。
なお本展は明30日日曜日まで鎌倉の八幡様の境内でひっそりと開催中。
「じぇじぇじぇじぇ」すぐにも廃る言葉だから今日一度だけ使ってみよう 蝶人