照る日曇る日 第1178回
著者のデビュー当時、1957年5月から59年6月までに書き書きまくった全部で18本の中短編小説と1篇の戯曲が673頁に凝縮されていて、読み応えは120%! 読むほうも汗だくだが、これほど膨大な原稿をおよそ3年間によくも毎月毎日書きまくったものよと、内容の吟味の前に驚いてしまう。
この人、よっぽど小説を書くことが、楽しかったんだろうな。で、その中身は?
東大医学部での犬殺しや人間の死体処理のアルバイトを扱って読んでるこっちの眼鼻手まで気色悪くなってくるほどの細部のリアルで迫って来るのが、「奇妙な仕事」と「死者の奢り」だが、どちらも骨折り損のくたびれ儲けに終わるのが皮肉だ。
「他人の足」は脊椎カリエスの少年患者たちの内部と外部の流通と断絶、党派性とセクスを取り扱う。政治と性はいつも変らぬ著者の固定的なこだわりである。
「石膏マスク」では整形手術をした者の違和と悲哀が主題になっている。
「偽証の時」は大学内で起きた偽学生の不法監禁事件の関係者たちが、当事者のみならず大学当局を含めてもみ消しを図ろうと組織的な「偽証」を繰り返して隠蔽を図り、良心の呵責に耐えかねて真実を告白しようとするヒロインを押しつぶそうとするのだが、それは安倍蚤糞に忖度する官僚の心的機制を先取りしているようだ。
「動物倉庫」は珍しくも戯曲であるが、やはり「偽証の時」と同様の組織的隠蔽の非人間性をテーマにしている。
「飼育」では著者の郷里を思わせる山間部に舞台が移り、飛行機が墜落して捕虜になった黒人兵と主人公の少年との不思議な交情と突然の死が描かれる。
草いきれと黒人の肌の匂い、そして振り下ろされた鉈から迸る血。視聴覚360度サラウンドな小説である。
深夜のバスの中で主人公たちあわれな日本人は進駐軍の兵隊たちによってパンツを脱がされる。「人間の羊」を整列させながら「羊撃ち、羊撃ち、パン、パン!」と唄う兵士たち。それはいまの日本とアメリカの関係そのものだ。
「運搬」では、仔牛の肉を運ぶ主人公たちを襲う野犬の群れ! 溝鼠、雀、蜂、土竜、トカゲ、そして鳩。「鳩」では様々な動物たちが窓の外に吊るされ、「鳥」では鳥にトリつかれた青年が登場する。
傑作「芽むしり仔撃ち」では、山奥のに送り込まれた感化院の少年たちが圧倒的な存在感を示す。疾病の流行を恐れて逃亡した村人たちに置き去りにされた少年たち。少女との束の間の恋、脱走兵との出会い。主人公はある種の独立王国の日々を満喫するが、村人たちが帰還すると粛清の嵐が吹き荒れる。
同じ村が舞台の「不意の唖」では、生意気な進駐軍の通訳を村人たちが闇に葬る。
「見る前に跳べ」は著者お得意の学園ぐじゅぐじゅ内向学生もの。
ガブリエルの情婦良重の肥った肉体につながれている我らが主人公は、仏語を教えている女学生田川祐子と新規一転新生活を始めようとするが結核で胎児を出産できない母体であると分かって良重の元に帰るがインポになっている。
「部屋」でも主人公はインポテンツに苦しむ。結局いつまでも跳べないのである。
「暗い川 おもい櫂」も、黒人と娼婦と、跳べない青年の話。
「喝采」もリュシアンにおかまを掘られていた夏男が太った娼婦康子と男女のセクスができた万歳!と「跳ぼう」とするが、それは康子の演技であり、結局青年はいつまでも跳べないのである。
「戦いの今日」では、ひょんなことから主人公と弟が脱走兵をかくまうが、彼は憲兵に撃ち殺されてしまい、主人公は「解放感に満ちた奥深い虚脱」に落ち込んでいく。
最後に置かれた「われらの時代」では、懸賞論文に思いがけず入選した学生の靖男が、宏大な背中と共生感の持ち主である淫売の頼子と決別し、「さあついにあこがれのおふらんすに脱出して自由になれる」と思ったのもつかの間、アルジェリア人からは正義の戦争に連帯せよと突きあげられ、ミュジシャンの弟は警察沙汰に巻き込まれて墜落死し、妊娠した頼子からは泣きつかれ、四面楚歌となって、とうとう脱出の機会を永久に棒に振る。
そういう次第であったが、ぜんたいとしては、自然と少年時、田園と音楽、セクスと女体、個人の自由と共同体の暴力、戦争と民族などというか鍵言葉があちこちに点滅する、激しくも美しい散文作品集でしたね。
最近は光君はどうしているのか? なお生きるべし大江健三郎 蝶人