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照る日曇る日第881回
「日本近代詩の父」というレッテルを貼られている詩人であるが、さあそれはどうだろうかなあ。ボードレール並みとはちょっといかないと思うよ。でももしそうなら「日本近代詩の母」は中原中也ということになるんかなあ。
私が昔から好きな萩原朔太郎は「こころをばなににたとえん こころはあぢさゐの花」という2行で始まる『こころ』。でもこれは中也の詩でも、白秋、犀星でもよかったといえる。彼は歌おうと思えば「しづかにきしれ四輪馬車 ほのかに海はあかるみて」というような七五調も上手だった。
『蝶を夢む』の中の「かつて信仰は地上にあった」は白秋の南蛮趣味を遥かに凌駕している名品であるが、「階段の上にもながれ ながれ」(「内部への月影」)など三好達治との親近も感じられる。
再読したが一連の「竹」はえ物にはさしたる感銘を覚えなかった。題材に「仏」や「輪廻転生」「涅槃」など仏教を扱った作品が多い。
オノマトペが抜群にうまい。もっと多用して欲しかったなあ。「じぼ・あん・じゃん!じぼ・あん・じゃん!」「のをあある とをあある やわあ」「とをてくう、とをるもう、とをるもう」「てふ てふ てふ てふ」「おわわあ、ここの家の主人は病気です」
「月に吠える」が発禁になったのは「愛憐」「恋を恋する人」の2編のせいだが、これは今読んでも超エロイ。検閲官の眼は節穴ではなかったんだなあ。「わたしたちは蛇のやうなあそびをしよう」だなんてソソラレます。その後も「春宵」「その襟足は魚である」など性愛のよろこびを単刀直入に歌った作品があってみな素晴らしい。
「絶望の逃走」「僕等の親分」「商業」「大砲を撃つ」「駱駝」「大工」の向陽性と前進は晩年の尾羽打ち枯らした内省的な憂愁と鋭い対比をなす。でもその両面が朔太郎なのだろう。
そして彼の代表作にして最高傑作はなんといっても「広瀬川」の冒頭の一行であろう。
「広瀬川白く流れたり」
最後まで守ってくれるはずの人物に刺し殺されし子の驚きと悲しみ 蝶人