照る日曇る日 第1977回
「明日戦争がはじまる」で世間を騒然とさせた詩人の宮尾節子さんと津久井やまゆり事件を総括する決定版をあらわしたジャーナリストの佐藤幹夫さんによる往復書簡、ならぬ往復メールによる対話本をいっきに読みました。
対話編ときけばあの有名なプラトンが聞き書きした「ソクラテスの対話編」を思い出すけれど、ああいう誰かが誰かにものを教えるというような高尚な対話ではない。私はなぜか1982年のウィンブルドン男子決勝戦で実際に見たジミー・コナーズとジョン・マッケンローの、手に汗握る対戦を思い出しました。
宮尾マッケンローが超高速の直球サーブを見舞うと、ラインぎりぎりまで後退した佐藤コナーズがこれをやわらかに受け止めて、緩やかなロングロブをうち返し、待ち構えた宮尾マッケンローが、ネットぎりぎりのスライスボールを落としてみせるいうような、ハラハラドキドキ丁丁発止自由闊達談論風発天地無用の遣り取りが最初から最後まで続いて、まあ当節これくらい面白くて為になる応答集はない、と断言できましょう。
コロナ禍とそれ以降の社会変化や政治家襲撃、津久井やまゆり事件などの障害者殺人、福祉とケアの問題、海の向こうの戦争と目の前の5分後の戦争など我われの耳目を釘づけにした話柄が続々と俎上に載せられます。
しかし私はこの2人の対論者が、強権を発動して民草を抑圧し、新たな戦争を招き寄せようとする専制政治に対して心をひとつにして激しく燃やす怒りと粘り強い異議申し立て、そしてこの劣悪な環境の中をけなげに生き抜く社会的弱者や障害者に捧げる慈愛に満ちたエールに深く感じいったことでした。
末尾の第5章では芥川賞を受賞した「ハンチバック」の作家と作品にかんする佐藤さんの鋭い省察が披露され、それに応えて宮尾さんが持ち出した同郷の広末涼子の一世一代の肺腑の言「きもちくしてくれてありがとう」が圧倒的に素晴らしい。
「週刊文春」で一読したときにも、これぞ「にんげんとうたの原点」ではないかと胸を激しく打たれたのですが、ここに宮地さんのリライトそのままに再録して、拙い感想文を終えたいと思います。
出逢ってくれて
会ってくれて、
合ってくれて、
くっついてくれて、
入れてくれて、
泣かせてくれて、
きもちくしてくれて、
いつもどんな時も
あなたらしく居てくれて、
対峙してくれて……
本当にほんとに、
ほんとうに、ありがとう。
心からのありがとう。
「戦争のない国にしたい」といいながらまた戦場に出る「大河」のヒーロー 蝶人