梅雨入りしましたね
明日はなにごともないように
昨晩は研究会があり、終わったと先輩病理医と軽く飲んだ。あまり遅くならないうちにお開きにした。終電まであと1時間半くらい、微妙な時間帯。
先輩と乗り込んだ電車で空席があり座ったら目の前で、いきなりイチャイチャしているカップルがいる。
若い者はいいものだ、などと思っていたらキスまで始めてビックリ!なにせすぐ目の前で、目のやり場に困る。次第に混んできたら、キスはやめたが、まあ当てられてしまった。
続いて、乗換駅では、コンコースの中央に微妙な距離で立っている二人。手を握ったり、なんだか変なハイタッチ。
うーん、お互い別れ難いのだなぁと思いながら、横を通り過ぎる。お互い好き合っているのだろうけど、さっきのカップルと違って手を握ってキスだの何だのという段階ではない。まだまだ純情な二人の段階。あの二人、あのあとどうしただろうな。
こんな人たちに会う日だったのだろうか?ホームに並んだらまた微妙な感じの二人が横にいる。男の方が女性にさかんにちょっかいを出している。女性の方は気が無いようだが、男性の方はなんとか彼女を連れ帰りたいみたい。終電までにはもう少し時間があるから、最後のチャンスとなる。うーん、勘違いかもしれないけどね。
というようなことを、帰りに書きながら電車に乗っていたらいつの間にか眠っていた。気がついたら鎌倉駅でドアが開いている。慌てて降りたら、結婚式帰りの一団が騒いでいる。この歳になると、結婚式に呼ばれることもなくなる。若い頃は、寿貧乏、なんて言っていたけど、懐かしいな。
大きなお世話か
昨日の朝、鎌倉駅の改札口を通ったら、ピピッという音がした。
「あれ?おかしい。いつも(定期の区間内は)”ピッ”なのに。」と一瞬考えた(人間というのは、これだけのことを情報を入力した後、瞬時に考えることができるというのがすごい)。それで、数日前から改札通過時に表示されていた、【有効期限 12月17日】のを思い出し、このいつもと違う音は昨日で定期券が切れているからだと理解した。
定期券を使わないで、勤め先まで行って帰ってきたら相当な出費となる、気がついて良かった。有人改札で今入ったばかりのSuicaの入場記録を取り消してもらい、券売機でカードで定期を買って出直した。そもそも、定期券を駅員に見せて通るようにしていたらこんなことにならなかったともいえるけど、世の中なにがどんな風に進歩していくのかなんて誰にもわからない。それにしても、入場の取り消しだとか、カードで一瞬で定期が帰るとか、便利になった。
「ピッ」というのは、定期券使用者、「ピピッ」の場合は、定期の範囲外。それは前からわかっていたけど、音の違いで、期限切れもわかるなんてよく考えられたシステムだ。これなら、子供のピヨピヨとかオレンジ色の光とかを組み合わたら、いろいろな合図がつくれそうだ。
そのうち、顔写真とか、位置情報と連動して「ピピピッ」とか「ピピピピピー!」とかいうのも出てくるだろう。というか、私の場合Suicaをカードで使っているけど、モバイルSuicaを使っている人はすでにJR東日本に行動を相当監視されているだろう。かくいう私も、まだ慣れないので普段は使っていないけど、Suicaのアプリを入れて非常用のお金も入っている。とすると、私の行動も・・・。
企業の性善説を信じる
昨晩のニュースで、関東地方は今夜が雨模様で、西の方は雪かもしれないというのを聞いていたのをすっかり忘れていた。朝のニュースで天気予報のタイミングに合わなかったのが問題だった。
帰宅時雨が降っていても鎌倉駅までは車で迎えに来てもらうか、最悪タクシーで帰ったらいいけれど、問題は勤め先の病院。歩いて2、3分だけど、雨に打たれたらそれだけでもあまり嬉しくない。私の場合、いまの勤務先までの2時間のうち、電車の中が1時間半、そのほかが乗り換え等で、外を歩く時間は5分にも満たない。5/120。そんな割合のために、傘を持っているというのも、けっこう面倒だけど、結局のところ、仕事を終えて外に出て雨が降っていたら、傘をささざるを得ない。
こういう日の天気予報は必ずといっていいほど当たる。それもいまにも雪になりそうな氷雨。
さすがに、折りたたみの傘をさし、少し早足で駅まで歩き電車に乗ったら、足の指が凍えそうに冷たくなっていた。久しぶりにジムに寄りたかったのだけど、金曜日の発表の準備が遅々として進んでおらず、8時過ぎまで職場にいたら、一汗流す元気もなくなり、まっすぐ帰った。
手付かず
「先生、通勤時間が長いの大変ですね」とまあ、当たり前のことを挨拶がわりに言われるのには慣れっこだ。
そもそも東京から1時間も離れている鎌倉なんかに住んでいること自体少々酔狂な話で、さらに正味で片道一時間半も電車に揺られているのだから、常に時間と戦っている一部の臨床医からは呆れられてしまうのもしかたないだろう。
通勤時間が長いのが辛かろうと考えるのは当然だけど、使いようによってはそれほど長くは感じない。
ブログ書きにあてるのと同じぐらいかそれ以上の時間をメールの整理にあてていると一時間半でも足りない。
事務連絡ならともかく、研究がらみのこととなると、とてもじゃないがそれぐらいでは足りないぐらいだ。
先日、通勤時間をどう使っているか、というアンケート結果が報道されていたけど、そこではSNSとか、資格取得のための、語学とかの勉強にあてて有効に使っている人が結構いる、というようにまとめられていた。
私もそんなところだし、10年前はガラケーから記事を入力していた(はずだ)。
では、こんな風にブログを書くことが、自分にとって有効な時間の使い方なのかは定かではない。
愚考を下手くそな文章で垂れ流すより、もっともっと自分の中に何かを蓄積していくことの方が良さそうにも思えるけど、そう考えるようになった時には本を読んだらいい。
まあ、なるようにしかならないだろう。
時間も使い勝手を考えながら
冬の間、駅まで妻に車で送ってもらっていたが、今日から歩くことに。もちろん、満開の桜に誘われてのことだけど、ナイトの朝の散歩も兼ねている。駅に向かう途中で抜ける鶴岡八幡宮の桜も満開を迎え、朝早くからカメラ片手の人が多く訪れている。夜明けが6時前となったので、日がずいぶんと高くなっている。
ソメイヨシノという木はクローンだから、日本中が一斉に満開の花に包まれる。日本中全てのソメイヨシノが同じDNA配列を有していて、同じ時期に咲いてしまうなんて、考えてみると不思議なことだけど、人工的に植物を作出してあたかも自然のように溶け込ませるなんていうことしてしまうという日本人の優雅な感覚というのには改めて驚いてしまう。
朝は、いろんな人と犬とすれ違う。いちいちご挨拶をしていると電車に乗り遅れそうになるので、失礼と思いつつ挨拶もそこそこにすれ違う。ナイトのお付き合いもあって、なかなか忙しい。駅まで、20分。車で送ってもらえば5、6分。朝の10分あまりを節約できるのだけど、それだと妻と話す時間もほとんどない。また、寒くなるまではこの時間に駅まで散歩をしよう。
駅で妻とナイトにサヨナラしたら、仕事モードに切り替えて、テンションを少し上げる。
あと3日
分単位の遅れも許されないというプレッシャーの中で日々神経をすり減らしている日本の鉄道会社の方々には申し訳ないが、少しぐらいの遅れはいいんじゃないかと思う。
今朝、駅に着いたら、改札上の電光掲示板にちょうど到着しているはずの列車の案内が出ている、ラッキーまだ来てないとばかりに、ホームに駆け上がって、ちょうど滑り込んできた列車に乗ることができた。遅れは2分。これぐらいならまあ許せるかな、と自分がちょっと得したからか、手前勝手にそう思ったのだけど、これってやっぱり勝手だろうか。
10分発の電車が12分に出たらそれは12分発なのかと考えていたら、いつのまにか10分発の時刻に追いついていた。
南岸低気圧の通過による大雪の次の次の日、少し早めに帰ってきたら鎌倉駅に見たことのない3両編成の列車が止まっていた。
また、新しいお座敷列車か何かかと思って窓から中を覗いたがなんだかよくわからない。
そもそも窓は少ないしいずれも小さい。
それでも写真を撮っている人が何人かいて、私も何か(?)の役に立つのではないかと思って数枚撮っていたら、観光帰りの若い女性が
「え?何か珍しい電車なのかな?撮っておこうか?」
などと言いながら、やっぱり写真を撮っていた。
自分が写真に写り込んでいるけど顔はよくわからないのでいいだろう。ある意味自撮り。
3両目の車両の横にEast-iEと書いてあって、どうもこれは鉄道マニアの誰かが以前フェイスブックに書いていた、ドクターイエローみたいなものだと想像がついた。
あとでEast-iEをネットで調べてみると、
"JR東日本の新幹線・在来線に導入されている新型電気・軌道総合検測車(イーストアイ、East i-E、D)"
とのことで、在来線用の検測車ということらしい。
ちなみに、ドクターイエローは新幹線用の検測車で、East-iには新幹線用もあるとのことだ。
夕食の鍋の材料を駅前のスーパーで買っておいて欲しいと妻に頼まれたので、写真を撮って、忘れないようにともう一度よく見てから駅を出た。
買い物をした後、気になったので、駅まで戻り、改札口の駅員さんに
「なんでEastiが停まっているのですか?」
と尋ねたら、
「軌道の検査だと思いますが、詳しいことはちょっとわかりません。
あの後、すぐに出て行ってしまいました。」
とのご回答。
もういないらしい。隠密行動のようでかっこいい。
縁の下の力持ちということでは病理医に通じるものがある。
出現頻度も病理医並みなのだろう。
今度はいつ会えるかな?
電車の時間に間に合うかどうかというのはけっこうシビアな問題だ。降りてから先の予定の開始時刻から逆算して乗る電車を決めるが、乗りたいと思っていた電車に乗り遅れて遅刻が決定するとガックリくる。全てがダメになってしまうような気がするのは、その先に待ち受けている予定よりもその先で関わる人間関係によるところが大きい。
"時間を守る"というのは結局のところ、他人との約束を守るということで、時間に遅れるということは約束を破るということになる。だから遅刻すると自分にプレッシャーがかかるし、逆に誰かにそうされると怒りたくなる。時間に対する感覚というのは不思議なもので、これが予定の電車の一本前にも乗れるようだと、あとに続く待ち時間もあまり無駄には感じない。これは時間が唯一自分のもので、それを自由に使っているという実感があるからなのかもしれない。
誰とも約束なんかしないで、自由気ままに生きたいと思うけど、米つぶ一つ買うにしても、電気を得るにも、ゴミを捨てるにも、一事が万事、他人に頼る必要があるのが人間だ。店の営業時間、電気代の支払いの期限、ゴミ収集の時間などなどそれぞれに締め切り時間がある。
時間に縛られ、時間とともに生きて行くしか生きるすべはないわけで、ストレスを減らすには時間に余裕をもって行動するのが一番だろう。
当たり前なんだけど
横須賀線の中にメガネを入れたメガネケースを忘れてしまい、千葉まで取りに行った。
帰りは千葉から鎌倉まで1時間半あまり。千葉まで行くことを加えたら2時間にもなった。この前、学会出張で福島に新幹線で行った時がやはり1時間半、これとほぼ同じだけかかったことになる。新幹線の時間を在来線である総武線快速・横須賀線と比べるのはナンセンスだが、忘れ物を取りに行くということが随分な労力を必要とするものであるのかを実感した。去年、やはり横須賀線でお土産のお菓子を忘れたことがあったのだが、その時は取りに行く暇もなく回収を断念したということがあった。今回も、ケースだけだったら諦めただろうけど、中身のメガネそのものがあっては仕方ない。いくら安売り店で買ったメガネとはいえ、電車代の方がずっと安い。それに、メガネを新調する時の煩わしさもある。
無事、私の元に帰ってきたメガネとメガネケースを見ると少し拗ねているようにも思えた。それなりに愛着がある。
それにしても、千葉から東京を経て鎌倉というのは遠かった。ずっと座っていたが、一晩明けてもまだ腰や背中が痛い。東京湾をぐるりと回るので当たり前なのだけど、夜だから、車窓からの景色も見えず、全くの移動だった。こんなのだったら、いっそ木更津まで行ってバスで東京湾アクラライン経由で戻ってもよかったと思ったが、時間が時間がだけにそれは諦めた(ちなみに、東京湾アクアラインへはまだ行ったことがない)。
私がボケているだけなのだろうが、年をとると通勤というものがそれなりのリスクを伴うようになる。電車にしても、バスにしても、車にしても、人間移動するということは何らかの危険を伴っていて、忘れ物の他にも、階段で転んだりとか、ホームと電車の間に足を取られたりとか、以前では考えられなかったことが次々と起こる。いつも注意深く行動する必要がある。
忘れ物対策としては少なくとも、降りる直前にあたふたと荷物をまとめるようなことはやめ、一駅手前で全て終わらせることにした。
東京-名古屋は1時間41分
袖触れ合うも他生の縁、とはいうものの、通勤電車の中で、ぎゅうぎゅうづめになるのにはいつまでたってもなれない。
運良く座れてもちょっと気になることがある。
夏の間、私はポロシャツを着ている。座った時、隣の人が半袖ワイシャツを着ていると、その袖口がちょうど私の腕に当たり、くすぐったいというか、こそばゆい。少しチクチクと感じることもある。
なるべく腕を引き寄せるのだが、こっちが小さくなると、あっちは腕を組んだりして大きくなるので、また袖が当たる。
逆の手で当たらないようにするのだが、そうすると手が使えなくなる。そうするとスマホがいじれないし、本も読めない。半袖ワイシャツの隣の人が降りても、また同じような人が座る。
仕事に行く格好としてあまり褒められたものではないのかもしれないが、蒸し暑い日本の夏、勘弁してほしい。
もう少し涼しくなれば、私も長袖のワイシャツを着るようになる。長袖のポロシャツはあまり格好良くない。そうすれば、このことも気にならなくなる。だが、周りの人も皆、長袖ワイシャツとなるので、この問題自体が無くなるとも言える。
我慢しなけりゃならないとはわかっているが
月曜日といえばやはり週の始め、テーマは通勤がいいだろう。通勤にカテゴライズした記事は昨日まで266本。
通勤に関する記事の内容は大きく3つに分かれる。通勤ラッシュに関する考察、というか不平不満。そんなことばかり書いているかと思ったら、通勤途中に接した色々な風景、車内での出来事とか通勤事情についてなどについても結構書いている。
私は鎌倉に住んでいて、仕事は県外だ。鎌倉から外に出るには横須賀線か、江ノ電か、自家用車しかない。荷物運びで車を使うことはあるが、ほとんどは横須賀線だ。江ノ電で片瀬江ノ島経由で小田急という手もあるが、大船藤沢経由で十分座ることができる。ということで、横須賀線でまずは大船にでて、小田急を使うのであれば藤沢まで下り、東京を目指すのであれば、そのまま乗っていく。鎌倉に住んでいる人にとって、品川までの50分というのは通勤に織り込むべき時間であって、最初から往復2時間というのは最低限のことだ。
通勤カテゴリー、最初の記事は『みんな、大変ですよね・・・(2007年9月10日)』ブログ開設2日目にしてすでに通勤への不満を書いている。この時点で鎌倉からの遠距離通勤は10年を越えていたので時間については今更という感じだったのだが、時間よりもマナーに関して文句を言っている。足を広げて座る人、足を投げ出す人、立っていても周りの人のことを考えない人『大きなカバン、さらにはリュック(2015年6月5日)』、については普遍的というか、公共交通機関を使い続ける限り解決できない問題だろう。この時はコメントも結構いただいた。車内マナーの向上については色々問題があるだろうし、自分自身気をつけないといけないことも少なくない『ギューギューづめでスマホはやめて(2016年01月20日)』『こんなことでいちいち怒ってちゃダメ?(2016年02月22日)』『私の方こそ嫌なことをしている(2012年05月22日)』。それにしても、車内でマニュキアを塗り始めた女性には参った『電車内の音と匂いのマナー(下)(2017年07月08日)』。
この10年間で職場は2回変わったので、通勤ルートは3通りあった。でも、その中でも色々とマイナーチェンジがあった。遠距離通勤の時間の有効利用にはいつも頭を悩ませている。一番よかったと思えたのは、最寄り駅を変えて歩く時間を延ばしたこと『電車に乗っている時間を短くする(2009年10月5日)』。これは、前々職場から始めたことだったけど、歩くといろんなことが見えて楽しかったし、メタボ予防にもなっていたに違いない『歩くだけでも病気の予防(2014年08月28日)』。今の職場は駅から徒歩3分、一駅前通勤はちょっと遠いので歩くのは難しい。少なくとも30分歩いていたのはよかったようで、今度の職場に来たらあっという間に体重が増えてしまった。あれはあれでよかったと感じる今日この頃。
あとは、あちらこちらの風景を見ながら歩いたのもいい思い出だ。道路ぎわの割れ目から育ったひまわり『ど根性ひまわり 2015(2015年07月07日)』、クチナシ『クチナシ(梔)ロード(2013年06月20日)』、金木犀『秋本番とキンモクセイ(2012年10月15日) 』などの花や緑についての記事も多かった。『サラリーマン二十四節気、冬(一部春)(2015年02月17日)』なんてのまで書いていた。夏場の通勤の暑かったことも、いい思い出だ『祝!1周年(2010年10月06日)』。この後も、暑さ対策についてはあれこれ書いている『冷感グッズで夏を乗り切る(2012年08月16日)』。
車内でのあれこれもあった。これについては気をつけないといけない。車内トラブルについては気をつけるようにとコメントもいただいている。
あとは、車内での失敗談も。最近、乗り過ごすことは減ったけどまだまだ気をつけなくてはいけない『謎が解けた (私事です)(2009年12月15日)』。車内吊り広告を掴んでしまったおじさんなんてのもいた『気まずいというか、なんというか(2009年11月08日)』。通勤電車での法則?のようなことも書いてみたことがあった『通勤三題・・・通勤電車編(2014年05月08日)』。昔は電車の中に閉じ込められても平気だったが、新幹線に閉じ込められて以来、苦手となってしまった『けっこう、アセッた(2012年09月18日)』『閉じ込められた!(2013年04月09日)』。混んだ車内は、感染症も結構怖い『新型インフルエンザ(2008年11月25日)』。
鉄道会社は営利企業ではあるけれど、利用者にもう少し優しくしてくれてもいいのではないかと思うこともある『どれに乗っても満員電車・・・1(2015年05月14日)』。口ではサービスを謳っているけど、結構儲け主義なのが露骨で嫌になる。まあ、現場の人たちはそうでもないのだけど、上の方がそうしているのだろう。そういえば、学会出張の時の話もよく書いているけど一番驚いたのは駅の区別がつかなくなりつつあるということ『あれ?札幌駅と博多駅、どっちがどっち?(2011年07月13日)』。同じ会社が請け負っているのだろうか。そのうち、東京駅と鎌倉駅以外はみんな同じになってしまうのではないかと不安になる『』。
通勤時間は色々と考えるにはいい時間だ、私にとってはこの時間の有効利用は、仕事を続ける限り消えないテーマだろう『あれこれ考える(2011年01月28日)』。
歩いていると、哲学者のようになることもある『季節の変化も人生も(2015年03月19日)』。
帰る家があり、待っていてくれる人がいるというのは幸せなことだ『揃ってご帰還(2014年03月17日)』。
家を出て家に帰る
社会人(医者)、になってから、お盆の時期にはあまり休みを取ったことがない。病院は通常営業で、臨床のアクティビティが下がるというわけではない。おかげさまで今日も一日中忙しかった。患者さんにしても夏休みだから受診できるというメリットもある。
そんなわけで、この時期、毎年ガラガラの電車でのんびり通勤できる。ところが例年とは違うことが起きている。折りたたみの傘を常に持っているのだ。私は晴れ男というわけではないけれど、急な雨に降られた経験があまりない上、都内ではコンビニですぐに手に入れることができるので、一年に一度か二度しかないような機会のために、傘を普段から持つようなことはしないできた。
それが、今年はそれほど降られなかった梅雨が明けたと同時に雨模様の日が続く。朝から降っていたら、しっかりした傘をさして出かけるのだけど、最近の空模様は、場所と時間によって降るかもしれないし、降らないかもしれないというおかしな具合だ。なんというか、全体では降水確率は80%なんだけど、場所によっては20%ぐらいというような、降水確率は高いのだけど本当に降るかはわからない、という中途半端な状態だ。そうなると折りたたみの傘を持って出るしかない。
それにもまして、一度に降る雨の量が半端ではない。霧雨程度なら、駅まで少し濡れていってもと思うが、いまやゲリラ豪雨だ。
大学受験のときに暗記したWhen it rains, it pours.(降ればいつも土砂降り)というフレーズを思い出す。でも、それは運の悪いことを表現したものだったと思われ、その頻度はそれほど高いものではないはずだ。ところが今では意味が違う。本当に雨が降るといつも土砂降りなのだ。これには地球温暖化が関わっている可能性があるらしい。温暖化の影響で、大気中の水分量が多くなってしまったことで、少しのきっかけで土砂降りになってしまうようだ。雨ではないけれど雷の発生も温暖化に関係している可能性が指摘されている。
このまま環境破壊が進めば、産業革命が人類、地球にもたらしたものは福音ではなく不幸であったということになってしまう。それはそれでしかたのないことかもしれないけど、環境破壊を少しでも緩める方法は真剣に考えないといけない。
人間は罪深い
(一昨日のつづき)
これからの季節、汗臭い人は少なくないが、これはまあしかたない。匂いを発する人を気の毒だと思いつつ、匂いが我慢できないのなら、静かにこちらが遠ざかるしかない。体臭は本人が好きで発しているものではない。ただし、服に染み付いたタバコの匂いは別。こういう人は、さっさとどこかに行って欲しい。このことになると、喫煙者だった頃の自分をこれまた深く恥じることになる。
さて、車内で食事をとる人は結構いる。ただ食べるぶんには、周囲を汚さなければ問題ないと思うのだが、調理パンの匂いに閉口することがままある。今朝も私の隣の女性はパンを食べていた。パンの匂いは案外強い。できたらゼリーとか匂いの少ないものにして欲しい。
あと、車内での飲食で問題になるのは酒だ。やはり酒は臭い。酒が苦手な人はたまらないだろう。私だって隣に座った人がプシュッとビールの栓を抜いた瞬間に、がっくりくる。せっかく確保した座席でも、放棄し、少々の時間立つのも仕方ないとさえ思う。さらには、酔っ払いの匂いにはどう対処したら良いのだろう。やはり自分が立ち去るべきか。そんなことを言ったら、新幹線での弁当・酒はどうなる、ということにもなる。車内販売で売られているというのが、許されていると考える根拠にはなると思っているが、やはり酒の匂いが苦手な人には辛いだろう。そのうち、禁飲食車両というのができるかもしれないが、そうなるとそこではお茶、水もダメということとなりかねない。許容範囲というのは人それぞれなので、線引きは難しい。
さて、この前、目ならぬ鼻を疑いたくなるというか、とにかく腰を抜かすようなことがあった。狭い電車内でこともあろうかマニュキアを塗りだしたおばさんがいたのだ。
車内にはあっという間に揮発性の溶剤の匂いが立ち込めた。旦那さんだろう、連れ合いの人もいておっかなかったが、さすがにこは勘弁してくれと意を決してやめてくれるように頼んだ。
幸い、すぐにやめてくれたが、逆ギレされたらどうしようかと電車を降りるまで不安だった。
それにしても、一体どういう了見なのだろう。座席を確保さえしたら、あとは自分のしたい放題ということなのだろうが、あまりにもひどい。自分勝手すぎる。
これまで、匂いの問題というのはそれほど取り上げられてこなかったように思うが、目(鼻?)に余るような行為については、マナーの問題として取り上げないといけないのではないか。それとも、これも人それぞれの勝手だろうか。
社会的常識はどこにある