こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

これからの人生はこれまでの人生の払い戻し

2023年11月01日 | 生き方について考える
今年も残すところあと2ヶ月。
コロナ禍明けも手伝ってのことかもしれないが、あっという間の1年だ。
11月だというのに、天気予報では週の後半には夏日もありそうなどと言っているが、地球温暖化のことには全く触れていない。

時の流れがこれほど早いと、ひと月前にはいったい何をしていたのだろうということになる。
その頃のエントリーを読み返すと、娘の結婚式の振り返りとジャニーズの問題。
それぞれの問題はもはや遠い昔の過去のことで、人生の記憶のヒダの中に、他のこととともに折りたたまれてしまった。
ましてや10年前、20年前は何をしていた、30年前のあの時はどうだったのか。
思い起こせばいろいろ出てくるかもしれないが、かといって時の流れの向こうに何があったのかなど、朧げで、そこに戻ることはできないし戻ったところでなにもない。
人生は微分と積分、瞬間瞬間にいちいち立ち止まってなどいられない。

生きていくうちに得るものはたくさんあるが、その得たものから支払っていくものもある。
年とともに人間の能力としてのキャパシティーの限界に近づいている今はもう払い戻ししか残っていないかもしれないが、これが終活だと思って生き続けるしかない。
ためたもの、あの世にまでは持っていけない

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註;人生は微分と積分についての過去エントリー(2019年3月)

人はなんのために生きているのか

2023年10月30日 | 生き方について考える
昨日一昨日、私は日本ののどかな休日を1日過ごし、日本という国がいかに自由で平和であるかを実感した。
渋谷のセンター街には外国人を含め、老若男女が楽しげにウロウロしていたし、鎌倉のお祭りには何万人もの人が各地から集まった。
多くの人がそれぞれ楽しい時間を過ごしていた。
平和=命の保障がある、ということであれば、いまのところ日本ほど自由で平和な国はないのではないだろうか。

情報が瞬時にそのまま伝わる時代となり、同じ地球上の遠く離れた国で多数の人が殺されていることがわかる。
それぞれの立場、考え方もわかる。
イスラエルによる侵攻が進むパレスチナガザ地区では飢えと略奪が起きていて、状況は混沌としている。

ハマスは、人質を取り、自国内では最も攻撃されにくい病院の下に司令部などを作っている。
人間の盾だ。
もし、私が空しか見えない壁に囲まれた土地に、人間の盾として生まれていたら、どんな人間になっていただろう。
いかなる状況でも生きようとする力を持たなくてはならないのだろうが、この様なことが続いたら私は絶望しか無い人間になっていたに違いない。

今、ウクライナとパレスチナ、二つの地域で殺し合いが行われている。
当事者は武力しか解決の道はないと考えているのだから、この様になってしまったが、解決の道はなぜ武力だけなのか。

理屈だけではなんともならないこと、理不尽なことに立ち向かうためだけに生まれてきた人がいる。
でも、その人たちにもきっと希望はある。
どうしたら、その希望を実現可能なものにできるか、でもそれが他人の希望を奪うものであってはならない。
人間の存在をどう考えたらいいのかがわからなくなる。

死ぬために生まれてきたとはいえ

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考えなくてはいけないのは私のことか社会のことか

2023年10月21日 | 生き方について考える
パレスチナとイスラエルの問題は落とし所がなかなか見つからないようだが、そこにいる人たちの命は日々削られているということを忘れてはいけない。
日本という安全地帯にいる私が何を考え、何を発信したらいいのかはわからないが、ウクライナ問題とともにとにかく何かを考えなくてはいけない。
私のような一市民がどのような立ち位置にあろうがどうでもいいが、それは日本政府にしてもあまり変わらないような気がする。
米国ですら何ら有効な手立てを持っていないのだから仕方ない。

パレスチナ人とユダヤ人、武装組織と一般人、武力と石油、その他もろもろのことを一つ一つ分けて考えたとしても、いったんほぐした糸を一本に再び撚り合わせることは不可能に近い。
それでも考えなくてはいけない、いや、考えてしまうのが人間だ。

世界で大きなことが起こっている一方で、瑣末なことにも悩まされる。
指先に薔薇の棘が刺さっただけでどうしようもないほどの苦痛を感じて、絶望してしまうことすらある。
そうすると、例えばワクチンを打つ打たないも、大きなお世話で、他人から見たら勝手にしろというような問題ではないか。

人間に与えられた時間は限りがあって、その中で衣食住とともにあれこれ考えながら生きなくてはいけない。
ずいぶんと忙しい話だが、そのことをやめてしまったら、それが自分自身に帰結する問題だとしても、人間としての存在価値はずいぶん軽いものとなってしまう。
続けること

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人生を楽しんできたか、楽しんでいけるか

2023年10月20日 | 生き方について考える
強い南風が吹いていて、今日の鎌倉は生暖かい。
ところによっては雨が降って、季節がまた進む。
今のところ時速60キロの人生
谷村新司さんが74歳で亡くなった。
このところ夜空が澄んでいて星がよく見えるので、昴を探した。
オリオン座からまずはアルデバランを探し、そのもう少し上に、ぼんやりとした青い星団を見つけた。
それにしても74歳とは若い。そう思いながら、しばし夜空に目を凝らした。


この前、私より歳の若い病理医二人の雑談が耳に入った。
まだ30代の若い方が、

 80までは生きたいですね、といってもまだ40年以上か。

と言い、相手の年長の方が、 

 うーん、あと30年か、なんとかなるかな?

と独り言で応じていた。

もうすぐ還暦の私には20年、二人とも若いなと、そして自分がもう棺桶に片足を入れていると感じた。
彼らにとって、というか人間だれしもその辺りが潮時なのだろう。
私もそう思ったし、その先は認知症にならないでいたらもうけものだ。
一寸先は闇だが、癌などの重病に罹るということがない、とか日本がどこかの国との戦争にならないと仮定して、残り20年、どうやって生きよう。

生きていく上で何よりも大切なことは、その長短にかかわらず、人生は楽しいものでなくてはいけないということ。
これまでの人生を振り返るとその時々は死にたくなるほどとても辛いと思えることが山ほどあったし、今でもほうりだしたくなるようなことがいくらでもある。
それでも今、私はこうして生きている。
天の配剤と言っていいのかはわからないが、生きているということ、生かされていることだけでもとてもありがたく、結局のところこれまでの人生、そう悪いものではなかったとも言える。

人生を楽しむ、などというとクレジットカードかサラ金のキャッチフレーズのようだけど、お金がなくても楽しむことはできる。
何より大切なのは周りの人とうまくやること。
人間所詮一人とはいえ社会生活抜きには生きていけず、その上で人との接触を避けることはできない。
人とうまくやるということは、他人のことを思いながら生きるということであって、今の言葉で言ったらダイバーシティを意識するということ。
気がつくのが遅かったように思うが、今がスタートと思って始めてみたら人生がもっと楽しくなるような気がする。
一人でも多くの人が幸せに

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もう10月半ばすぎ、というより気がついたら今ってもう2023年だよ

2023年10月18日 | 生き方について考える
昨日、新型コロナワクチンの7回目を打ってもらった。
前回(5月)同様、オミクロン株XBB.1.5。
結局のところマスクをしないでいても罹っていないので、不要かもしれないが、費用負担もなく、因縁をつける筋合いはない。
例によって、一晩明けても左肩がズーンと重く痛いが、こればかりは仕方ない。
インフルエンザワクチンもあるが、これは来週に打ってもらうつもり。

それにしてももう、10月も中旬から下旬に移るところだと思ったら、びっくりしたが、それよりもカレンダーを見たら2023という数字が目に飛び込んできた。
2023年、それももう年末に向かっている。
『2001年宇宙の旅』がSF映画の最高傑作と思っている人間としては、その設定年を20年以上もすぎてしまったのはちょっと長生きしすぎたんじゃないかとさえ思える。

時間を感じるスピードというのは、年齢×時間に例えることができると聞いた。
すなわち1歳児は時速1キロで動いているだけだが、20歳で時速20キロ、60歳だと時速60キロで走っていることになる。
90歳にでもなったら時速90キロだからあっという間に毎日が過ぎているのかもしれない。
あと、10年も経ったら私も時速70キロで走行することになるので、だいぶ快適か。
でもその時なんのために走っていると思わないだろうか。

次から次へと新しいことが目の前に出現していた右肩上がりの時代の人たちは、この先にも何かワクワクできそうなことが起きると思い、少しでも長く生きていたいと思ったかもしれないが、AIがこの世を支配するようになる未来に楽しみを持つことは難しい。
結婚、子育てすら、人類にとっての必要性不明瞭となってしまった今、では何を目標に、何に対してモチベーションを上げていったらいいのだろう。

どれほどのスピードで走ったところで、結局のところ人間はその目標を見つけることなどできないまま、いつの間にか歳をとっているのかもしれない。
余命に対してかも知れない

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最期まで前向きに生き続ける

2023年10月13日 | 生き方について考える
雲ひとつない青空。
放射冷却のせいで、ひんやりしているが、清々しい。
未明、ふと目が覚めてしまい、寝付けなかったので、部屋の空気を入れ替えるため窓を開けて空を見たら満天の星空で、しばし見惚れてしまった。

そろそろ60歳を迎えるにあたって、娘がお祝いをしようといってくれている。
ああ、もう60歳、この先、自分にできることってなんだろうと思うと少し不安になった。
時間的に若かった頃のような夢を持つことは難しくなったような気がする
それでも、私は生きていく。

先日、あるブロ友さんのエントリーに、人間以外の動物に”老後”というものはほとんどない、というのがあった。
それは生物は身体能力が低下すると自分で食べ物を得ることができなくなるが、人間は元々集団で互いを助け合って生きており、その中で年長者の存在が必要とされるから生き延びるようになったというようなことがその理由だった。

そう考えたらまだまだ私にできることというのも探せばあるのかもしれないと、前向きな気持ちになることができた。
すでにいつ死んでもいい年、どうせ死ぬなら、未来の少なさを悲観して塞ぎ込むより、色々なことに取り組んで、人生をもっと充実したものにしよう、そう考えることにした。
言霊を大切にしながら

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人間の幸も不幸も定常的

2023年09月13日 | 生き方について考える
湿度も若干下がり、晴天もしばらく続きそうだ。
このところ、あれこれあってストレスが溜まっている。
おまけに、休みなしということもあってへとへと(このことについては手当するのでご安心を)。

それにしても、良いこと悪いことというのは同時に起こっている。
それに、良いことというのは、必ずしも自分にとって得というか、自分を利するもの、というわけではなく別の見方をしたら悪いこと、というか将来に禍根を残したりするものであったりする。
禍福は糾える縄の如し。

自分にはあれこれ浮き沈みの激しい人生であっても、外から見たらたいして変わらないわけで、一つ一つのことを気にするのは馬鹿馬鹿しい。
もちろん、多少プラスマイナスはあるだろうが、人生は定常的なものと思えば、心穏やかに過ごせるだろう。
一喜一憂せず

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パンドラの箱は自分の心の中に

2023年08月21日 | 生き方について考える
少し雲がでていた。
これだけでもずいぶん助かる。
だが、今日も日中は軽く35度を越すことになるらしく、気をつけないといけない。

昨夜は昼間の疲れもあってか、ずいぶん早く寝た。
寝つきは良かったのだが、夜中に目が覚めてしまった。
エアコンの設定が良くなかったのか中途半端に暑かったせいもありなかなかねむれなかった。
そうするうち、ウクライナ戦争で双方の戦死者が数十万人に上っているというニュースが気になったり、親しい人の病気のこと、仕事のこと、あれこれこの先のスケジュールや人間関係のことまで気になったりして、2時間近く眠れなかったようだ。

いろいろ考えるうち、このもろもろの悩みというのは、パンドラの箱から飛び出した数々の災厄のことなのだと思い至った。
私が考える全ての悩みは、私が心に思ったことであり、それらに対して鈍感、もしくは無視していたら何も気にならない。

悩むのならば考えなければいい、というわけではない。
ほとんどのことは放っておかずに解決すべきことであり、考えなくてはいけないことなのだが、あくまで自分の心、脳内での出来事であり、自分の体を悪くしてしまいかねないほど考えるべきことではないかもしれない。

全ての災厄を世界にばら撒いた後、箱に残るのは希望。
人間は絶望することはあっても、希望を捨てることはない。
生きていてどれほど辛いこと、つらく思えることがあっても希望を捨ててはいけないし、捨てることはできない。
先の予定のある幸せ

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それぞれの人のそれぞれの無駄と思える時間

2023年08月04日 | 生き方について考える
太平洋高気圧によって雪隠詰めとなっている台風6号、今度は踵を返して東に向かって少し動き出したそうだ。
おかげで未だ広い範囲で停電が続いている沖縄の災難はもう少し続くらしく、お気の毒だ。
その後どうなるかもわからないが、海面の温度が高いせいで勢力は一向に弱まらないらしい。
地球が怒っているように思えてならない。

夏休み期間に入って、朝晩の通勤電車の混雑はだいぶ緩和された。
学生が消えたのが一番の原因だが、それでも若者は結構乗っている。
いつもはゲームに興じている人が目につくが、今は勉強している人が多く、大学受験に向けての塾、予備校に通っている人もいるのだろう。

学生にとっての夏の過ごし方というのはそれぞれだ。
私の中学高校時代は部活三昧だったが、高三、浪人中の夏は塾・予備校通いだった。
寒いほど冷えていた教室でも、気がつけば満席となっていて、学生の熱気のせいで、暑いほどとなっている。
今や閉所恐怖症の私がどうしてあんなところで耐えていられたのか不思議だが、あれも若さのせいだったか。

それにしても、浪人その他、私は無駄と思える時間を多く過ごした。
だが、その”無駄と思える時間”は今の私にとってはどんなものだったのだろう。
無駄な時間を過ごしていない人というのはいるだろうか。

人それぞれの時間の価値を何かに置き換えることはできない。
私が過ごした浪人の一年にはいろいろな思い出が詰まっている。
そのうちのどれは良くて、どれは悪かったと言うことはできない。
後悔することは容易い。
それよりも、あの無駄と思える時間を肯定することの方が有意義ではないかと、考えるようになった。
何かと比較することなく

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アブラゼミの立ち往生

2023年07月26日 | 生き方について考える
7月26日水曜日。
取り立てて何ということもない日で、語呂にも特徴なく、今日が誕生日の人は誰かに覚えてもらうにはどうするのだろう。
今日はカンファレンスも会議もなく、こんな日は仕事に没頭して過ごせる。

3、4日前から庭のプラタナス(ヒポクラテスの木、スズカケ)には大きなアブラゼミが止まっていて、ジジ、ジジ、と鳴いている。
立派なセミがどうしてひと所に止まっているのはどうしたことかと、このような状況のセミのことを検索してみたら、どうやら寿命で飛び立つ元気がなく、日に日に弱っているようだ。
立ち往生の場として、大きな葉が生い茂るプラタナスを選んだのは賢明で、これなら鳥についばまれることもない。

命のたどる運命は様々だ。
虫も草木も、命のほとんど全ては自然に消えゆくものだが、人間の場合、命の終わり方はそれぞれ極端に違う。
ここで、人の死に様の良し悪しを述べたらキリがないが、望んだように死ぬということは難しい。

死に方については人それぞれの考え方があり、一概にどれがいいとはいえない。
私が死ぬ時は、体が衰え、生きる気力がなくなり、眠るように逝きたいと思っている。
だが、そうおあつらえ向きにいくかは最期の時までわからない。

プラタナスのセミが、あと何日生きることができるかはわからないが、ここを終の住処としてくれるのなら、最期まで見守っていてやりたい。
一寸の虫にも五分の魂

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凶悪犯罪の増加と若者の倫理観の変容

2023年06月15日 | 生き方について考える
梅雨空は続く。
湿度は上がるばかりで、週の後半になると体がだるい。

そんな中での楽しみは大リーグエンジェルスの大谷翔平選手の歴史的な活躍だ。
彼のような清々しく活躍する若者がいる一方で、最近凶悪な犯罪に手をそめる若者が後をたたない。
非合法なバイトを、闇バイトなどと称して匿名で募集し強盗を行わせる。

数年に一度あるかないかというような犯罪が日々繰り返されている。
金がないから闇バイト、叱られたからすぐ殺す。
私ももう少しお金は欲しいし、イラッとすることもある。
だが、人のものを奪ったり、殺したり、という発想はない。
若者に何が起こっているのだろうか。
人を殺してはいけない、という倫理観が失われているのではないか。
そして、そのほかの犯罪の定義も変わっているのではないか。
私の考える犯罪というのは、若い犯罪者にとっては犯罪ではない。

人のものを奪うことは悪いこと、人の命を奪うなど絶対にしてはいけないこと(なぜ、人を殺してはいけないか。2011年01月11日 )。

これは、当たり前のことだと思っていた。

少し前のことだが、オレオレ詐欺の犯人が、

  年寄りの持っている金を取るなんて、ちっとも悪いことだと思わない。

と言っているのを読んだことがある。
彼にとって、見も知らぬ人の金を横取りするなど、ちっとも悪いことだとは思えないのだろう。
こんなことを考える若者はまだ少ないかもしれないが、氷山の一角とも言える。

世代間のギャップといえばそれまでだが、その変容ぶりには驚かされるし、どこにそんな若者が潜んでいるかわからないのは恐怖だ。

犯罪がなぜ犯罪であるのか、ということは常々考えてきたことだが、どうやら犯罪の定義そのものを考えなくてはならなくなっているようだ。
これは、私たちの世代のみならず、”まともな”若者にとっても深刻な問題であり、社会全体で考えていかなくてはならない。
みんなで語り合う機会を

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わかったような口をきく人には気をつけよう

2023年06月05日 | 生き方について考える
夜露がずいぶん降りていて、ベランダの手すりも車もびしょ濡れだった。
日中移動があるので、少し早めに出てきて、少しひんやりしていたものの、出歩く日中は真夏日の暑さになるということで、ジャケットを羽織ってきたのは失敗だっただろうか。
でも、横須賀線の車内は冷えていて、とりあえずはこの格好でなくては風邪をひいてしまうところだった。
乗り換えた電車では弱冷房車に乗ったが、今度はやや暑く、調節は難しい。

時々人の心を支配しようとする人がいる。
自分はいい人で明るくて、気さくに話すことができるので互いに胸襟を開いて語り合うことができると相手に思わせる。
やがて、相手は自分に共鳴、共感し、自分の意見に賛成してくれるだろうと勝手に思う。
他人は別人格なので、考え方、価値観が異なるということがわかっていない。

こういうことをするのが対等の立場にある人に対してであれば、意見を表明することに問題はない。
問題なのは、年齢が違っていたり、職位が違っているような場合で、そのような時、ただでさえ支配される立場にある弱い人に対して、考え方を強要するということだ。
とくに、弱い立場にある人が、寂しかったり、悩んでいたりする時だと、さも相手の気持ちがわかるかのように振る舞って近づき、取り込もうとする。

自分の意見なるものを持つのはいいが、それを他人に押し付けるということ自体が問題だ。
意見、論考、といったものは、自ら表明、発表することはあっても、それを他人に説く時は請われて初めて行うべきことだ。
このブログだって同じようなもので、ネットから来てくださった方に読んでもらい、時にはコメントとして意見を交換する。

ところが首根っこを捕まえて連れてきて自説を聴かせるのではそれは洗脳だ。
そうやって人の心支配しようとする人は、”いい人”を演じて弱い心の人に油断を生じさせ、懐に入り込もうとする。
そういう人は口先だけで実力はないから言行不一致だし、精神的に支配することが目的だから無責任だ。
そういう人を見ると、腹が立つが言い訳も上手なので、うまい具合に逃げられてしまう。
したがって、まずは支配されてしまいそうな人に忠告を与えるのがいいように思う。
誰も他人の人生に責任を持つことはできないので、できることはそこまでだ。
気をつけてあげよう

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生きることに見返りは必要か

2023年06月02日 | 生き方について考える
台風2号は南の海上を抜けるようだが、梅雨前線が刺激されて広い範囲で大雨になるらしい。雨のせいか朝の電車では通信状況が不安定、とかでエントリーをアップがなかなかうまくいかず、帰りになってやっとできた。
タイトルもおかしくて、本文とともに少し直した。
案の定というか、方々で電車が止まったり、遅れたりしている。
今日みたいな日は滑って転んだりしないよう、長い傘をさして、ゆっくり歩かないといけないので、少し早めに移動した。

いくら頑張っても年には勝てない。
こんなことを繰り返すうち、気がついたら思っていたよりずっと年老いていて、やがては耄碌して死んでいくのだろうかと考えると、自分は一体なにをやっているのかと思う。

現実の世界はAIごときが理解できるのような甘いものではない。
解決しなくてはならないのは物理的な問題ではなく、結局のところ人間社会に生じる様々なことだ。
毎日の仕事、あれこれ頼まれるそれ以外の仕事、気が休まる暇はない。

 一度断ったら、次は無いよ

という、亡き父の遺訓を実践してきたせいで、あれこれ仕事を頼まれる。
でもそれはほとんどお金にはならない。

 労多くして功少なし

そういう仕事を名誉に感じる人もいるのだろうが、私はそういうものをあまり感じない。
それなら引き受けなければよかったのにということだが、断りきれないのは、優柔不断なのか、気が弱いだけなのか。
力不足のままあれこれの仕事を引き受け続けていていいのかと不安にもなる。
もちろん、この状況がずっと続くわけではなく、歳を取れば、はいそれまでよとお払い箱になるのだが、では、それに向かって私は生きているだけでいいのだろうか。
もっと楽しい他の何かをすればいいのにそれができないと考えると人生は余計につまらないものになる。
生きるのに見返りを求めるのはいいのかそれとも悪いのか。

こんな甘えたことを言っていては、子育てに家事にと主婦として見返りなど求めることなく忙しく働いてきた妻に、

 何を寝言を言っているの!

と、ドヤされそうなので、ここだけの話にしておこう。
妻は私のブログは読まないので

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生を確かめながら生きていく

2023年05月16日 | 生き方について考える
空には雲が一つもない。
なぜこれを雲一つない、というのだろうと顔を洗いながら考えた。
昨日までの悪天候が嘘のよう。
しばらくは好天が続くようで、心も落ち着く。
こんな日が続けば植物もどんどん成長する。
冬の間、部屋の中に閉じ込めていたらすっかり元気をなくしてしまい、これは大変としばらく前からベランダに出しておいたウンベラータとプルメリアもいよいよ元気になるはず。
こういういい季節に、仕事に出てこなくてはならないのはとても残念だが、それはそれ、自分を必要としてくれる人がいるからこそ、自分の居場所がある。
人はどんな境遇にあっても、生きていたらそれだけで他の人と関わっている。
それは他の人への働きかけであり、他の人から働きかけられることだ。
なにもないところにはなにもないし、なにも起こらない。

とはいえ、世の中そんな綺麗事だけ言っていたらそれで済むわけではない。
医療の現場にいたら、そんなことは容易にわかる。
もちろん、自分自身それなりにいい年になってきているので、いつ世の中のセーフティーネットにすがることになるかなど全くわからない。
一寸先は闇だ。

だからこそ、自分というものを実感して生きることが必要なのではないか。
身体感覚はもとより、自分の置かれている社会的状況、その社会の中での立ち位置といったものを確認することで生を実感する。
昨今はそういったものを感じることができない人に対する手当てをどうするかが問題となっている。
それでも、これまでそういう問題の存在そのものを見ないできたことを考えたら、少しはましな方向に向かっているのではないか。
答えはなかなか見つからない

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人生なんて降ったり止んだりだよ

2023年05月14日 | 生き方について考える
夕方まで雨は降らないという天気予報を信じて、近くのパン屋まで行った。
買い物をすませて、店から出た途端、あたりが真っ白になるほどの土砂降りとなり、軒先でしばし雨宿り。
仕方なく、昨日から泊まりに来ていた息子に迎えに来てもらった。
だが、せっかくきてもらったのに家に帰り着く頃には雨はすっかり止んでいた。
ゲリラ豪雨は対応が難しい。

ふと、自分のこれまでの人生を思い出した。
これまでたくさんの大雨、大風があった。
死にたくなるほど辛い思いをしたことも、1度や2度ではない。
それは大馬鹿だった学生時代だけではなくて、社会人になってからもあった。
人に嫌われ、陥れられ、思ったようにいかずにどん詰まり。
どうやってそれらを乗り越えたのかもうあまりよく覚えていないが、とにかく今私はまだ生きている。

人生はいつも晴れの日ばかりじゃない。
むしろ、雨風に見舞われることの方が多い。
何も私に限った話じゃない。

でも、生きている限り、雨は止むし、風も凪ぐ。
どんなに不幸に思える局面でも挫けず生きていることが大切だ。
よく生きてきたよ

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